何か言い返そうと開いた口から、しかし、言葉の代わりに奇妙な空気が漏れた。
反射的に、自分の名前を探そうとして、ふと気づく。
――あれ?
私の名前って、何だっけ。
社会人として働き、毎日のように誰かに呼ばれ、昨日の記憶だってきちんとあるはずなのに。
いざ自分の名前を脳内で呼び起こそうとした瞬間、文字の輪郭が、まるで砂上の楼閣のようにサラサラと霧散していく。
反論したいのに、カラカラに乾いた喉がそれを許さない。
頭の芯が痺れたように真っ白になり、私の存在そのものが、指の隙間からこぼれ落ちていくような感覚に襲われる。
ほんの数秒、私たちは互いを見つめ合ってーーーー
その沈黙を破るように、キッチンの方から「ただいま」と母の声が聞こえた。
途端、リビングの凍りついた空気が嘘のように溶けていく。
妹はいつもの何事もなかったようなあどけない顔に戻り、ぴょこんと立ち上がって母を出迎えた。私も引きつった笑いを張り付けたまま、何も知らない母を迎える。
ーーーーー
それからも、たまにその期間はやってきた。
普段は何も問題ない。妹は私を「お姉ちゃん」と頼ってくれるし、私もそんな妹を可愛がっている。
ただ、ふとした拍子に、その仮面が剥がれることがある。
名前なんて普段意識しないから、その期間が来ても最初は自分が名前を忘れているかすら分からない。
ただ、妹に冷たく拒絶されて、自分の名前が――私という個人の輪郭が、スッポリと消えていることに初めて気づくのだ。
今日も、家に帰って母はおらず、リビングのソファで妹と二人きりになった。



























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