「あ、あの奥のシート。あそこはどんなに店内が混んでても絶対に使っちゃダメだからね。女の子にもよく言っといて」
店長はそれだけ言うと、特に理由は話さずに再び仕事の説明へと戻った。
これは俺がキャバクラ……もとい、お触りありのパブで、店内スタッフとして働いていた頃の話である。
その店は駅からさほど離れていない、繁華街の中の雑居ビルに入っていた。
1階が受付で2~4階が接客フロア、5階が嬢の更衣室と待機スペースと、よくある構造の店だ。
和をイメージした煌びやかな看板に惹かれてふらっと入店してくる客が多いため平日休日問わず比較的繁盛している店だったが、どんなに順番待ちの客が多くても絶対に客を入れないシートがあった。
それが冒頭の、店長が言っていたシートだ。
接客フロアは広い空間の中にたくさんの衝立と暖簾がかかっており、その一つ一つのスペースに嬢と客が寝そべって使用できるビニール製のマットレスのようなものが置いてある。
要は半個室のキャバクラだ。
その半個室の中では嬢と客がイチャイチャプレイをしているわけだが、そこで“どんなこと”が行われているのかまでは店員も把握していない。
表向きはただの“お触りありのキャバクラ”ということになっていたが……
その日は朝から天気がいいというのに、珍しく客入りが悪かった。
せっかく出勤してくれた嬢達も暇そうにしながら待機スペースで携帯ゲームをしたり、お菓子を食べたりしながら駄弁っている。
俺も特にすることが無かったため、とりあえずフロアの掃除をすることにした。
(そういえば、あのシートを使っちゃいけない理由ってなんなんだろう)
問題のシートは4階のいちばん奥にある。
暖簾にはでかでかと“立入禁止”と書かれた紙が貼ってあるが、ちらっと暖簾を捲って見た感じでは特に何かが故障しているだとか、使えない理由みたいなものは見当たらなかった。
ただ、そこだけ異様に重たいというか、変な空気が漂っているのは確かだった。
今にして思えば、この時の俺はどうかしていたのかもしれない。
なんでそんなことをしようと思ったのか不明だが、俺はそのシートで仮眠を取ることにしたのだ。
(どうせここは誰も使わないし、客が来たらアラームが鳴るからわかるだろ)
俺はシートに寝転がると、そのまま眠りについた。
どれくらい経っただろうか。
気がつくと、店内で流れていたはずの有線のBGMが聞こえなくなっていた。
元々薄暗い店内も、なんだかいつもより暗く見える。
「やっべえ!寝すぎた!」
慌てて起きてスマホで時間を確認する。まだ寝ついてから3分も経っていない。
しかし身体は異様にぐったりしていて、立ち上がろうとするとふらついて倒れそうになった。
(あ~、変なところで寝るんじゃなかったな。中途半端に寝ちゃったから頭が痛い……)
とりあえず事務室に戻ってお茶か何か飲もう。
そう思ってシートに手をつき立ち上がろうとした時、何かにいきなり手首を掴まれた。
※コメントは承認制のため反映まで時間がかかる場合があります。