ひだりな
投稿者:夢川 (1)
「ゆみちゃん、手、つなご?」
「うん」
差し出した手を取ると、寧々は上機嫌につないだ手を振り始めた。二人で田んぼに挟まれた道を歩く。
寧々の手はひんやりとして乾いていた。
人と手をつなぐ時、握りやすい方と握りにくい方があることを、経験上由美は知っていた。由美がお母さんと手をつなぐ時、お母さんはいつも由美に握りやすくしてくれる。
寧々と手をつなぐ時はいつも握りにくい方だったのだが、この時は違っていた。握手するように自然に握れる。
少し不思議に思ったが、由美の手をおもちゃのようにブンブン振る寧々を見ると、いつも通りのねねちゃんだ、と笑みがこぼれた。
「どうしたん?」
「いや、なんでも。まだ明るいなぁ、もう六時やのに」
「夏やもん。夏休みやもん」
寧々がリズム良く口ずさむので、由美は重ねて言ってみる。
「麒麟レモン」
寧々はからからと笑った。
昨日から夏休みに入った。
待ちに待った夏休み。でも昨日は、家でうんざりするほど多い宿題をしているうちに一日が終わってしまった。
寧々が遊びに来なかったからだ。
田舎の小学校で元々遊び相手が少ない上に、由美と寧々は小さい頃から仲が良かった。
特に約束なんてしていなくても来ると思っていたが、何か用事があったのか、そわそわしているうちに暗くなってしまった。
由美の方から誘いに行っても良かったのだが、寧々から誘われなければ、宿題を放り出す言い訳がなかった。
「夏と言えば」
口にしてみたものの、その先があるわけではない。
「夏と言えば?」
聞き返されてから考える。
「……麒麟レモン?」
「そうかな?」
何が面白いのか、二人してケラケラ笑う。箸が転がっても面白いお年頃、そんなことを由美の母が言っていた。
「夏と言えば」
今度は寧々が言う。
「夏と言えば?」
「怪談!」
おお~、たしかに、と同意しながら、ちらりと寧々を見る。
ひょっとして昨日遊びに来なかったのは、そのせいか?
「では、ここで一つ怪談を」
握りこぶしを口元に持ってきて、寧々がわざとらしく「ごほん」と言った。
なるほど。寧々は昨日怪談にはまっていたのだ、と由美は想像した。
きっと、三つ年上のお兄さんの影響だろう。
そして、怖い話を由美に聞かせようと覚えてきた。
今日一日、どのタイミングで切り出そうかと機を伺っていたに違いない。そう言えば思い当たる瞬間がないでもなかった。
由美は思わず緩んだ頬を隠すように田んぼに顔を向けた。
「『ひだりな』っていうお化けの話なんやけど……知ってる?」
「ひだりな?」
由美はまだ寧々の方を向くことができない。
「そう。ひらがな四文字で『ひだりな』」
どうにか普通の顔に戻って、寧々を見て首を振る。
「聞いたことない」
答えると寧々はにやりと笑う。
「『ひだりな』はね、田んぼがたくさんある田舎に出るお化けなんやって。そう、ちょうどこの辺りみたいな」
「ふーん、どんなお化けなん?」
「ひだりなはな、人そっくりやの。それで人の中に紛れ込んで悪さするんやって」
寧々はつないでない方の手を顔の横でわきわきさせた。
「それ、ただの悪い人ちゃうん?」
「ちゃうって。だってお化けなんやで。ご飯も食べへんし、眠らんし、怪我もしいひん」
「ふーん、なんか便利そう」
由美の冷めた反応に、寧々は手をがっくりと落した。
実際、寧々の話は期待していたほど怖くなかった。人にそっくりで、悪さをするお化け。あまりピンとこない。
「……それに、お化けには人の心がないからな」
けれど、寧々がいじけたように付け足したその言葉は、由美にはとても怖く感じられた。
急に寒気がして、寧々とつないだ手を確かめるようにぎゅっと握る。
寧々が不思議そうに由美の顔を覗く。
由美は知らんぷりしながら続きを促した。
「それで? そのお化けは、何をすんの?」
「あ、うん。それでな、ここからが怖いねんけど」
それを言ったら怖くなくなっちゃうやん、と呆れ気味に由美は思った。その直後に『ここから』の話を昨日、彼女の兄から聞いて怖がったであろう寧々の姿を想像した。
「ひだりなが、ひだりなやって気づいた人は、みんなひだりなになっちゃうんやって」
「仲間を増やすってこと?」
「そうそう! しかもな、ひだりながお化けやって、ひだりなやって気づいた時には、もうどうすることもできひんねん。その時には人間じゃなくなってるから」
気づいた時には、もう遅い。由美は心の中で呟いてみた。
「それは、たしかに怖いかも」
由美が認めると、寧々の顔がぱっと明るくなる。
「そうやろ!」
「でも、どうやって気づくん? ひだりなは、人そっくりなんやろ?」
「ああ、うん。ひだりなは、人とそっくりやけどな、右腕しかないねんて」
「片腕なん? でも、それやったら普通に片腕の人と区別つかへんやん」
「そうじゃなくて、右腕が、二本あんねん」
ぞくり。
由美の背筋がひやりとした。
当たり前のように話す寧々の声が、余計に怖くさせている。
「右腕が、二本?」
「そ。左腕のある場所に、右腕が生えてんの」
ひだりな。左な。左無。
左腕がないから、左無。
「……きもちわる」
「怖いやろ?」
由美は怖かった。この日はお母さんの布団に入れてもらわないと寝られないかもしれない。満足げな寧々に、由美は何か言い返したくなった。
「でも、その話おかしいやん」
「え? どこがおかしいん?」
「だって、ひだりなに気づいた人はみんなひだりなになるんやろ? せやったら、誰もひだりなのこと知ってる人はおらんことになるやん」
寧々は首を傾げている。由美が言っていることが理解できないのだ。
「だから、もし本当にひだりながおるんやったら、それを知った人はみんなひだりなになってるはずやってこと。ねねちゃんが知ってるって時点で、ひだりなは作り話やんか」
「ああ! そういうこと」
寧々はにっこり笑って言った。
「それはちゃうよ、ゆみちゃん」
由美は首を傾げた。怪談に水を差す『ぶすい』なやり方ではあるが、由美は間違ったことは言っていない。
寧々がすねることはあっても、真っ向から否定されるとは思わなかった。
「なんで?」
「だって」
寧々は由美とつないでいる手を胸の高さまで上げた。
二人の手が握手するように握り合っている。
「右手と左手で手をつないでも、こうはならんのんよ?」
kamaです。思わず読みたくなるいいタイトルですねぇ。
シンプルで怖い!
こういうのでいいんだよ
ゾクゾクしました。
いいねぇ