しかし、私は友達を一人失った代わりに平穏を手に入れてしまった。
あの女の夢を一切見ることが無くなったのだ。
初めて女に捕まらずに目を覚ました日から約三ヵ月、私は女の夢を見なくなった事に気が付いた。
大体長くても女の夢を見るには二ヵ月弱のスパンがあったのだが、どうにも三ヵ月を超えたあたりから「あれ?最近あの夢みないな」と気づく。
どうして平穏を手にしたと分かったのかと言えば、とも子のブログだ。
夢を見なくなって三ヵ月後、私は学校のパソコンでとも子のブログを覗いてみた。
その時は、もしかしてとも子が私の悪口でも日記に綴ってるんじゃないかと、後悔と後ろめたさを抱きながら覗いた程度だったものの、とも子のブログには私の知らない日に見た女の夢の内容が綴られていた。
次にとも子が女の夢を見たのは、私がとも子を見捨てた約一ヵ月先の事だった。
それに加え、そこから更に二週間先にも女の夢の事が綴られていた。
ブログを見返していると、とも子は私が知らない間に七回も女の夢を見ていたのだ。
とも子が女の夢を見ているのに私は見ていない。
では、何故私は女の夢を見ていないのか。
それは恐らく、私が女に捕まらずに目覚めた事に関係しているのではと、私は考えている。
本当の意味で夢から目覚めるには、やはり女から逃げ切るのが条件なのかもしれない。
とも子の日記を読む限りでは、毎回必ず捕まってから目覚めているようだった。
ただ、とも子の日記の下部には、決まって『今日もあいつがいなかった。ムカつく』とか、『今度あいつを見つけたら殺してやる』と綴られていて、私は自分の事だと思った。
当然の怒りだ。
私は最悪の夢をとも子に押し付けて逃げたのだ。
それも親友を見捨てて自分は解放され、悠々自適と過ごしている。
本当に最低だと思う。
そして、私が夢を見なくなってからもう何年も経過して、高校生に上がった頃だった。
小学校以来疎遠になってたとも子のブログを思い出したかのように覗いてみると、夢について綴られている記事を検索する。
すると、とも子が夢について綴った記事は最後の夢から一年も経ってない頃だった。
それ以降は夢について触れる事も無く、日常の楽しい出来事が綴られていたから、とも子も女の夢から解放されたのだと確信した。
ただ、夢の発症は私からだろうが、あの夢が何だったのかは今でも分からない。
それに今でもあの夢に囚われて、女から逃げ回っている人が居るのかもしれないと考えると、罪悪感で胸が押しつぶされそうだ。
























1本の映画をみた満足感!
↑それな 面白かった映像で見たい
カラダ探しっぽい
クッソ怖くて読みごたえがあって面白かった!