上席監視官
投稿者:タングステンの心 (9)
私は翌日から、早速行動を起こしました。
薄笑いの上席はやはり私の勤務中、いたるところに通りがかりますが、すぐに視界から消えます。彼が本当に噂通りの最期を遂げた人物ならば、何らかの報道記事が残っているはずでした。私は勤務時間外にインターネットや、空港の所在する街の図書館に通い詰めて事件の手がかりを探しました。年代がはっきりしないため、調べるのは難しいかもしれないと心配しましたが、「国会で取り上げられた」という話が本当ならば、議事録なりなにか記録が残っているはずだ、とも思いました。
まったく見つからない。
ひと月、ふた月と過ぎていきました。手がかりはまったくありません。映画か小説のように都合よく死亡記事が見つかって、お墓参りかなにかすれば解決するのではないか、という私の希望的観測は完全に崩壊しました。そもそも、私のいる支署で勤務中に職員が死亡したという記事自体、一切見つからなかったのです。
そんなとき、偶然、所属統括官による年に一度の「身上把握」のための面談がありました。働いていて悩みや困ったことはないか、この先、どういう部署で勤務するか希望はあるか、などを統括に訊かれる面談です。
「最近、待機室で変な話をしているんだって」
「ご存じなんですか」
「ヤマザキから聞いたよ。心配してたぞ。大丈夫か」
「本当にいるんですよ。視界のどこかをときどき通りかかってる」
「いまは?」
「いません…あっ、曇りガラスの向こう!」
「?…だれもいないよ」
「いや、いま通りかかりまして。行っちゃいました」
「はあ…」
呆れる統括に私は思い切って、噂の話を切り出しました。統括は旅具検査部門の経験が非常に長いため、なにか知っているかもしれないと思ったからです。
「いや、自分も旅具で三十年くらいやっているけどさ、正直聞いたことないよ。勤務中に上席が死ぬなんて大事件だし、みんな当直でいっしょにやっているんだから、上のひとたちだって隠しようもないしさ。おれが聞いたことないんだから、ないって。少なくともここではさ」
その年、上席の謎が解けないまま、私は転勤になりました。
しかし、本当の恐怖はそこからだったのです。
霞が関の本省勤務になった私は、そこで信じられないものを見ました。件の上席が、今度は背広姿で省内の廊下を歩いているのを見かけてしまったのです。その顔にはなにが可笑しいのか、やはり薄笑いが張り付いていて、私の前方の廊下をつかつかと横切る革靴の音がしました。
私は自分の精神が病んでしまったのかと思い、精神科の医師にも相談しました。「過労」とか「抑うつ状態」ということで片付けられ、薬を処方されましたが、もちろんそれで上席が消えるわけではありません。
そのころにはもう、通勤途中の満員電車にも、駅の階段にも、一人で飲んでいる居酒屋にも、どこにでもあらわれました。ふと見たときには、精神科のクリニックのドアから出て行くところでした。いつもにやにやして、彼は私の前から姿を消しつづけます。
藁にもすがる思いで、自宅近くのお寺や神社にも相談に行ってみましたが、インターネット上の怪談話と現実はまったくちがっていて、「そういうのはやっていない。お疲れのようだから、お祓いとか神仏に祈るというよりも休んだ方が良い」と言われ、門前払いを食うばかりでした。
職場でも精神を病んでいるということになってしまった私は、その後、いろいろな部署をたらいまわし。最終的には休職に休職を重ねて、退官する、という羽目に陥りました。
正式に退官になる、もうこれで最後という面談の日、「長いことお世話になりました」とそのときの上司に頭を下げて、事務所を離れたときのことでした。建物を出て自宅に戻る電車に乗ろうとすると、駅近くの人混みの中で肩がぶつかり合いました。
「すみません」
と振り向くと、なんとそれはあの上席でした。いつも通りにやにやしたまま、こちらに軽く頭を下げて、クイと眼鏡を上げるとそのまま行ってしまいそうになります。
「あ、待ってください!」
人混みをかき分けて、上席のスーツの肩をつかむと私は「待って!」ともう一度大きな声で呼びかけました。
かくして振り向いた男性は上席では、ない。
私はその男性に詫びを言い、いつまでもいつまでも人混みのなかに立ち尽くしていました。いまでは転職して他県に移り住み、それ以来数年、上席を見かけることはなくなっています。
専門職の話はとても興味深いですな。
面白かったです
しかし文章うまいすなぁ
タメになる話でした
リアル感がエグい
引き込まれる文章と内容でした。
結果的に退職されよかったと思います。
普段あまり聞くことのない話
怖いというより興味深い