「虫の報せ~祖母の臨終の日」
投稿者:りょう (2)
私は家に帰るなり病室での祖母の様子を母親に伝えると、母親はひどくびっくりしていました。というのも母親はその日の昼間、祖母の様子を見に病院にいっており、ちょうど私が病室へ行く前に病室から帰ってきたとのことでしたので、すぐに私の話を信じられない様子でした。
私の話に母親はすぐに家族全員で病室に行こうという話になり、すぐにタクシーで病室へ向かうと、祖母はさきほど私が見た時とほとんど変わらない状態で橫になっていました。心電図や酸素マスクを付けた痛々しい祖母に声をかけてもやはり反応はなく、みんなで声をかけるもやはり何も反応はなく、祖母はただ橫になっているだけでした。祖母のただならない様子に、とりあえず翌日の朝一番で祖母の様子を確認しに来ようという話になり「じゃあね」と祖母に声をかけると病室を後にしました。
この「じゃあね」の一言が祖母への最後の言葉となってしまいました。家に着いた私たちに病院から1本の電話が鳴りました。祖母の容態が急変し危篤状態です。今すぐ来てください。という内容でした。祖母の急変の報せに慌てて病室に戻ると祖母は亡くなっていました。家族が揃ったタイミングで医師が祖母の様子を確認すると「ご臨終」です。の一言。私の家族は揃って祖母の臨終の場面に立ち会うことになったのです。
以上が私の祖母が亡くなった日の出来事です。人が亡くなる時というのは「虫の報せ」が働くということらしいですが、まさしくこの一連の流れは「虫の報せ」だったのかもしれません。
あの日、私たち家族が病室に集められのは祖母が私たち家族全員にお別れを言いたいがために仕組んだものだったのでしょうか。
私が不思議に思うのは、
なぜあの日「早退しませんか?」という打診が起きたのか?
他の日だったらどうだったのだろうか?
なぜあの日、私は早退することを選択したのか?
なせあの日、私は祖母の病室を訪れようと思ったのか?
この日の出来事は私にとって不思議な1日として今も頭から離れません。
「虫の報せ」は私たちの知らない無意識の部分に働きかけている気がしてならないのです。
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