「虫の報せ~祖母の臨終の日」
投稿者:りょう (2)
私の祖母は20年ほど前に亡くなりました。
その亡くなった日のことがあまりに印象的だったのでその日のことを書きたいと思います。
私が物心ついた頃には祖母はすでに寝たきりになっていました。祖母の介護は主に母親が面倒をみており、祖母から用事がある時は呼び出しブザーが鳴り、それを合図に母親や私が祖母の用事を聞くという毎日でした。
最初の頃は祖母とのやりとりは歩行困難ぐらいで、日常会話等は問題ありませんでした。とはいえ、寝たきり状態というのは認知機能が徐々に徐々に衰えてくるものです。
ある時、祖母の様子に変化が起きました。
祖母の呼ぶリモコンのブザーがブツブツと変な音が鳴り、「おかしいな?」と思って祖母のもとへいくと、祖母は呼び出しブザーを壁にガンガン叩きつけていました。昨日まで普通に使えていた呼び出しブザーがわからなくなっていたのです。
その頃から祖母の認知症の症状が悪化していきました。母親と私の顔はわかっても、父親と兄のことがわからなくなってきていました。2人の顔を見ても「あなた誰?」といったり、「自分の家に帰りたい」ということをよく話すようになりました。
祖母は戦中中国で裕福な生活をしており、祖母にとってはその頃の思いが強く頭の中に残っているようでした。祖母にとっての家とは今の家ではなく、中国での家であり、中国での生活と今の寝たきりの状態を比較したら今の祖母の状態は耐えられないものだったと思います。当時の私は祖母の思い出話をただただ聞くしかありませんでした。
そんな日々が続いたある日のことでした。
寝たきりの祖母が母親の目のない時に自分で歩き転倒し、祖母は救急車で運ばれることになりました。祖母の入院です。祖母を自宅で面倒みることはなくなりましたが、入院中の祖母の様子をみるため、母親は毎日のように祖母の面倒をみるため、病室に足を運んでいました。
そんな祖母の面倒はもっぱら母親がやっておりました。私は母親には悪いな。と思いつつも、祖母のことは母親に任せっきりになっておりました。
当時の私は障害者の施設で契約社員として働いておりました。毎日、障害をもつ子どもたちを相手して疲れきってしまいました。
母親からは仕事帰りに時間の余裕があれば、祖母の様子を見に行ってほしいとたびたび言われていましたが、日中の忙しさを理由になかなか祖母の見舞いには行けないままになってしまいました。
そんなある日のことでした。
私の勤めている施設で責任者の人から
「話がありますので来てください」
と言われ、詳しく話を聞くと
「施設の行事で2時間の延長業務をあなたにお願いしましたが、その精算をしたい」というお話でした。
責任者さんの提案は、
・2時間分の時間外手当てを付ける
・延長した分の2時間を早退する
どちらか好きな方を選んでください。
あなたの選んだ方で精算します。
という話でした。
どちらの方がいいのか悩みましたが、
当時の私は時間契約という形で働いていたため、2時間分の手当てを付けても大した額にはならないな。と考え、2時間早く早退させてもらうことにしました。
2時間早く帰れると思ったら、その日はなぜか私は急に祖母のことが頭に浮かんできたのです。いつもよりも2時間早く帰れるのなら…そうだ祖母の様子を見に行ってみよう。という思いから仕事を切り上げ、祖母のいる病院へと向かったのです。
私が病院に着いた時、物々しい雰囲気が病室から伝わってきました。祖母のいる病室から医師が続々と出てきたので、いったい何が起こったのだろうか? と思っているとちょうどそこに親戚の叔父さんが病室にいたので話を聞くことにしました。
叔父さんが言うには、私が来る少し前に祖母の脈が止まり、慌てて先生を呼んだとのこと。今はなんとか持ち直して、祖母は今はベッドに橫になっている。と叔父から聞かされ私は叔父とともに病室で祖母の様子をうかがうことにしました。ベッドの祖母は酸素吸入のマスクを付けた状態で橫になっていました。私が祖母の名前を呼び掛けても返事はなく、その場で叔父とあれこれ話し、すぐ自宅に戻り母親にこのことを伝えることを叔父と確認し、私は病室を後にしました。
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