踊る阿呆
投稿者:高崎 十八番 (6)
梅雨が開けたとある日の午後。Yさんが愛犬を散歩につれていると、公園で阿波踊りの練習をしている連を発見した。徳島県では、毎年八月になると阿波踊りの祭りが開催され、数多くの有名連や企業連などが参加し、観客に披露するのだそうだ。そのため六月を過ぎた頃になると、公共施設などを借りて各連は踊りの練習に励むのだという。Yさんは愛犬と共に、静かにその様子を伺った。阿波踊りの練習風景を一目見ようと集まる市民の姿も沢山いたそうだ。
午後八時半になると練習が終わり、人々はすたすたと帰っていく。先程までけたたましく栄えていた公園が、物悲しげに静寂に包まれた。Yさんも愛犬と共に自宅に帰宅することにした。紀伊水道を眺めながら海岸線をなぞるようにして歩いていく。踊りの練習風景に見惚れて、すっかり帰りが遅くなってしまった。
数分後。先程まで見ていた連とは異なる別の連を砂浜の上で見つけた。白足袋に法被を着ている男達と編笠を深く被った女達。高張り提灯を掲げて列の先陣を切る者もいれば、鉦、笛、太鼓、三味線などの楽器を奏でる伴奏者達の姿もあった。祭り本番前だというのに、練習の内から衣装に身を纏わせ、本格的に楽器が演奏されるといった気合いの入りようであった。
踊り子達は、蛇のようにして列をなし、「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損」という掛け声を陽気に発しながら踊っている。海岸線を走る車の運転手や、砂浜の上で月を眺めながら談話するカップルは、何故かその踊り子達の存在には気付いていない様子であった。Yさんは、踊り子達へと接近を試みたが、寧ろ遠ざかって行く一方であり、近付くことは叶わなかったそうだ。
すると甚平を着た1人の男性が、踊り子達の存在に気付かぬまま列の進路方向である前方付近で、煙草に火を付けて一服をしていた。踊り子達は、甚平の男を丸呑みするかの如く、なんの躊躇いもなく直進していく。そして踊り子達の群れが甚平の男を呑み込むと、楽器隊の伴奏の音は止み、波音だけが辺りに木霊したそうだ。次第に甚平の男から逃げ惑うかのようにして、踊り子達は散り散りとなり、暗い夜の海の中へと入水し、それから浮上してくることはなかった。
自宅へ帰宅すると、愛犬の足裏に付着した砂を拭き取ってあげた。「あれは霊の仕業だったのかな?」と冗談交じりで愛犬に話しかけてみると、食い気味に「ワン」と鳴いたという。
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