知らないほうがいい

私の家の隣には、すごく貧しい夫婦が住んでいました。

噂では、事業で失敗して借金地獄に陥っていたそうです。

いつも夫婦で顔に生気がなく、見ているだけで不安になるような人たちでした。

そんな夫婦があるとき、急に失踪したのです。

付近の人は「夜逃げだ」と噂していたのですが、私はそうは思えませんでした。

だって失踪の前日に私は奥さんの方とたまたま鉢合わせたので少しだけ世間話をしたんですが、その時奥さんは「今から大家さんにお金を借りに行く」と言っていたのです。

大家さんはすごくケチな人で、お金を貸してくれるような人には思えませんでした。

でも奥さんはなんとかお金を借りたいと言っていました。

その言葉に私は引っかかっていました。

そんな人が突然失踪なんてするだろうかと思ったのです。

そのことでもやもやしていたとき、大家さんの家の前で失踪したはずの旦那と奥さんを見かけました。

私が声をかけてみたら、二人はこれまでよりもなんだかずっと、生気がないような顔で振り向いたのです。

二人は大家さんに会いたがっていたので、私は「いないですか？」と代わりにぴんぽんを押してあげました。

そしたらすぐに大家さんが部屋から出てきたので「いるじゃないですか」と二人に声を掛けました。

けれど不思議なことに、さっきまでいたはずの二人は消えていました。

びっくりして、「さっきまで隣の夫婦が大家さんに会いたがっていたんですけどねぇ」と大家さんに言うと「何の冗談？」と大家さんは何かを言いかけてやめました。

真っ青に青ざめている大家さんが今も印象に残っています。

それからしばらくして、隣の夫婦に続いて大家さんまで姿を消しました。失踪したと聞きました。

それから数日して、私の家に隣の夫婦が訪ねてきたのです。

二人はなぜか私にとても感謝しており、お礼にみかんをいただきました。

しかし、大家さんが失踪した途端、夫婦が現れたことを私は不思議に思いました。

それで、上機嫌な笑顔を見せる夫婦に「大家さん今どこにいるか知ってます？」と尋ねたのですが、「知らないほうがいいことってありますよ」という答えではぐらかされました。

私はこの失踪事件を思い返す度に思うのです。

もしかしてもう3人はこの世にいないのではないかと。

これはあくまで私の想像なのですが、もしかしてお金を借りに行った日、大家さんと奥さんとの間にトラブルが起こり、誤って奥さんに手をかけてしまったのではないでしょうか。

そして奥さんを探しに来た夫も同じく大家さんの手にかかり。

それを恨めしく思った夫婦があの日私の手を借りて、大家さんの家に上がり込み、仕返ししたのではないかと想像するのです。

私はもしかしたらとんでもないことをしたのかもしれません。

だけど夫婦の言う通りで、知らないほうがいいことって世の中にはあると思うのです。

私はこのまま知らないふりをしようと思います。