壁際の女
投稿者:夏人 (2)
大学の時の話。
卒業も近くなってきていたので、とりあえず単位の水増し目的だけに適当に受講してた講義があって(多分、ヨーロッパ史とかそんなやつ)、特に友達で受講しているやつもいなかったので、本当に寝るだけのために教室に行ってた。
まあ、それでも出席さえしていれば単位をくれるようなザルな講師だったから受講したんだけど。
そんな感じだから講義内容なんてまともに聞く気がなかった。となるとできるだけ教室の後ろ側で、できれば壁際に行きたかった。壁にもたれると寝やすいからね。
数十人規模の受講数だったと思うけど、教室は結構小さくて、特に席に余裕がある感じじゃなかった。考える事はみんな同じなようで、講義開始前になると、後ろの席と、壁側の席からオセロの戦略みたいに次々と埋まっていった。出入り口のドアが教室の後部にあることも、後ろの席が人気な要因になっていた。
俺はその講義の前のコマは空きコマだったから、十五分前には教室に行って、最後尾の壁際を確保することにしてた。
みんなは前のコマには講義が入っているのか、五分前ぐらいにどっと入ってくる感じなので、十五分前だとまだ教室はがら空き状態、今日の寝床を選び放題だった。
そんな事をしていると、何週目だったか、俺と同じようなことをしている女がいることに気がついた。
俺と違い、前のコマに講義が入っているのだろうか。いつもうつむき加減のその女は、講義開始十分前ぐらいに息を切らして早足で入ってくる。そしてちょくちょく埋まりかけている席の中から必ず壁際を選択して座っていた。
ある時には、「あそこ座ろうよ」的な感じで席に向かっているカップルをうつむいたまま無言で押しのけるようにすべりこんで、無理矢理に席を取った時もあった。(カップルはあからさまにむっとしてた)
俺はそんな彼女を見て、たいした情熱だなあ、そんなに寝たいのか。わかるぞその気持ち。と、勝手に親近感を抱いてた。
だがある日、俺はその女の目的が寝ることではないことに気がついた。
その日、講義中盤にうとうとしながらその女を見ると、女は俺と同じく完全に壁にもたれかかっているにもかかわらず、せかせかと手を動かしてノートをとっていたのだ。
側頭部を完全に壁にひっつけている状態で、手だけはせかせかと動いているもんで、すこし異 様な姿勢になっていた。
その日から俄然気になってきて、毎回その女の席取りを観察するようになった。
すると、彼女には俺の席取りとは違う基準があることがわかった。
一、 その女は別に後ろの席でなくともよい。
俺はなるべく教室の後ろの席を確保しようとするが(講師から距離をとった方が気持ちよく寝れる)、彼女は前後関係に特にこだわりはないようで、たとえ後ろがあいていても、前の方の壁際を選ぶこともあり、時には最前列の壁際をとることもあった。
二、 必ず左側の壁際に座る。
これはかなり後になって気がついたのだが、彼女は必ず教室左側の壁にもたれて座っていた。例外はなかった。教室に入ってきた段階で、どれだけ右側がすいていようとも、まっすぐ左の壁際に向かっていた。
寝もしないのに何でそんなに左の壁際にこだわるのか、俺はどんどん興味がわいてきた。そもそもいつも最後尾にいる俺からは、彼女の顔もろくに見えていない。何度かのぞき込もうとしたが、彼女が通りすがるときに盗み見ようと試みたが、彼女はうつむいているし、それにやたら早足なのでいつも長い前髪しか見えなかった。
講義も最終日が近づいたとき、最後に一度、顔をおがんでやろうと、なんなら左側に座る理由を、面と向かって聞いてやろうと思った。
名前も学科も知らないし、話したこともない女性だったが、彼女はどう見ても陽キャではなかったし、むしろ気弱そうでもあったから、なんか俺には変な自信が芽生えていて、適当に話しかけても大丈夫だろみたいな我ながら気持ち悪いテンションになっていた。
その日、あえて前方の左の壁の席に座り、彼女を待った。教室後方のドアから入ってきた彼女を確認した俺は、彼女が背後に来た瞬間に通路に出て、彼女の前に立ち塞がった。うつむいたまま、びくりと動きを止めた彼女に
「あのさ、思ってたんだけど、なんでいつも左側座るの?w」
みたいな感じで、絡むように声を掛けた。
彼女は突然話しかけられて驚いたように顔を上げた。
で、後悔した。
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