俺がその話を聞いたのは、祖父が亡くなる三日前の晩だった。
「魂ってのはな、ちゃんと行く場所があるんだよ」
病室のベッドに横たわったまま、祖父はそう言った。
「地獄でも天国でもない。もっと…別のとこだ。あれは、行かにゃならん場所なんだ。忘れられた魂は、みんなそこに沈む」
俺はうなずいた。
弱った人間が死を前にして口にする、それらしい話だと思っていた。でも、祖父の目は笑っていなかった。光のない、黒いガラス玉のような目で、じっと俺を見ていた。
「おまえの母ちゃんも……行ったんだよ」
「え?」
「知ってただろ、あのとき……声、聞いただろ」
その言葉に、思い出したくなかった記憶がじわりと滲んできた。
中学のとき、風呂場で母が倒れていた夜――
湯気に包まれた洗面所で、誰かの声がした。
浴室の奥から、うめくような、呼ぶような声が。
扉を開けると、母はもう冷たくなっていた。
……あのとき、確かに名前を呼ばれた気がした。
「魂のいく場所って、どこなんだよ」
「……裏山の奥だ。昔から、あそこは“帰れない道”って言われとった」
「なにがあるんだ」
「聞いたな。じゃあ、もう知っちまったな。なら、いつかおまえも行く」
祖父はそう言って、口元だけで笑った。
それから三日後、眠るように亡くなった。
葬儀の晩だった。
遺品の整理中、押入れの奥からぼろぼろのノートが出てきた。中には、線がぐにゃぐにゃと這うように描かれた地図が貼り付けられていた。
《魂ノ行ク場》
《此処ヨリ先ハ 眼ヲ逸ラスナ》
《声ガシテモ 耳ヲ貸スナ》
最後のページだけ、やたらと汚れていた。墨のようなもので塗りつぶされた「終点」に、わずかに読める文字があった。
《かえらず》
それから俺は、何度も同じ夢を見るようになった。
白い霧が立ちこめる、森の奥の細道。
どこまでも真っ直ぐに続くその道の先に、人影が立っている。
顔は見えない。でも、母だとわかる。
























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