今年の夏、私は漁業の補助バイトを始めた。
集合場所から車で港まで乗せてもらい、そこからは初老の夫婦と木造の船に同乗して湖に出るのだが、実際は老爺が黙々と釣りをする後ろで老婆と2人で小魚を捕まえて遊ぶだけの、バイトとは名ばかりのものである。
船の床にある小窓を開けてそこから無造作に手掴みするだけで夥しい量の小魚を捕獲できた。
不思議なことに、老婆から発せられるそのすべてが、私に対して非常に強い懐かしさを想起させた。
老婆の姿、声、雰囲気、匂いどれを取っても私の両親や祖父母が持つそれとは程遠いものであるのにだ。
それは非常に心地の良いものであったと同時に、自分が普段生活している世界に対する憎しみのような感情も誘発していた。
この老婆はかつて、理不尽なこの世界から並外れた包容力をもって細胞膜のように私を包み込んでいたのだろうと、本能的な部分でそう錯覚していた。
奇妙な点は他にもあった。
船に乗っている時、丸々とした顔に皺が刻まれた謎の仮面を着用させられるのだ。
安全のためとの説明を受けたのだが、老夫婦は仮面を被っていなかった。
仮面はどことなく七福神に似ており、何らかの人物の顔を象っていることが容易に推測できた。
いずれの日も老婆に「捕まえた小魚は今日もこの後一緒に食べようね」と微笑みながら言われるが、結局いつも老夫婦が持って帰り、一緒に食べることはなかった。
この大量の小魚を結局どうしたのかは今となってもわからない。
バイトの3日目あたりから、警察を名乗る者から急に大量にメールが送られてくるようになった。
その内容は決まってこうだ。
「私たちはあなたを断じて苦しめたいわけではなく、救いたいのです。今ならまだ間に合うかもしれない。一刻も早く警察署に来てください。」
その時私は、警察に対してなぜか非常に強い嫌悪感を覚え、それらのメールを全て削除した。
4日目のバイトの日はいつもと違った。
船は夥しい量の奇妙な魚が跳ねる大荒れの湖の上を爆走していた。
そんな奇妙な状況にも関わらず、私はこれまでにかつてないほどのドーパミンを分泌しながら、船の上で目を煌々とさせていた。その時、船が何かと衝突した。それは、警察の船だった。
老夫婦の船は結局その場から逃げることに成功したが、私の身柄は取り押さえられた。
警察の船には十数人の覆面をした警察とともに、父も乗っていた。
父は私にこう言った。
「今日は姉の入社式に行くと言っていただろう。何バイトなんか入れているんだ」
—そういえばそうだったか—
予想に反して警察からは何も聞かれることはなく、長い時間船に揺られた後、港に着くと父とともに直ぐに開放された。
港からは父の車で姉の入社式に向かった。
入社式ではお祝いの言葉などは一切なく、入社に際しての事務的な説明に終始するのみで、保護者を含めたほぼ全員が無表情である。
しかし、私の母だけが泣きじゃくっていた。
姉が社会へと旅立つことに対する涙にしてはいささか悲痛に感じられた。
その横では、父が母の背中をさすりながら「きっと大丈夫だから」というようなことを言っていた。
その時、携帯に電話がかかってきた。
警察からだった。
電話の内容はこうである。
「(私の名前)君、まだおばさんと一緒に取った小魚食べてないそうじゃん?おばさんから小魚もらってきたから、警察署の食堂でおじさんと一緒に食べない?待ってるからね」
幼児をあやすような口ぶりだった。
しかしこの時は何故か「それなら行ってもいいか」と言う気分になった。
その時、母がこちらを振り向き、泣き腫らした目でこう言った。
「(私の名前)、いっておいで。いつだって待ってるからね」
その時、会場の全員がこちらを見ていた。
意味がわからない