まさか、我が子のことで霊体験の話をすることになるとは思いませんでしたし、また、そんな立場にはなりたくありませんでした。
しかし、それは恐怖ではなく、母と子の絆はこの世とあの世に別れてしまっても、永遠につづくものだということを知っていただきたくてペンをとりました。
長男が二十一歳という若さで亡くなったのは、二〇〇四年の秋のことです。交通事故による突然の死でした。
息子が亡くなってから数日間のことはよく覚えていません。現実とは思われない時間は止まってしまったかと思うほど長く、苦しいものでした。
亡くなってから二週間ほどして、私はようやく息子の部屋のなかに入り、彼の持っていたものに触ることができるようになりました。とても処分する気にはなれず、少しだけ片づけてあげようという気持ちでした。心のどこかで、帰ってきたときのためにそのままにしておいてあげたいと思っていたのも事実です。そんなことはないのだとわかっていながら…。
バックパックのなかには、あの事故の日に息子が持っていたものがおさまっていました。
そのなかに携帯電話もありました。バッテリーが切れ、電源が入らない電話を見ていると、また涙が溢れ、ついつい充電器につないでみたりもしました。
あの子から軍話がかかってくるのではないかと、そんな夢のようなことを考え、しばらくぼんやりと携帯電話を見ていたのですが、もちろんありえないことです。
ずっと充電しておきたい気持ちもあったのですが、もし、息子の友達から電話があったら、また悲しい話を伝えなければならないと思いいたり、私は思いきって解約することにしました。
解約自体は、とても簡単な手続きですぐに終わりました。もう、携帯電話は何の機能も果たしません。しかし、処分してしまうのは忍びなくて、何の役にも立たない電話を私は自宅に持ち帰りました。電話は息子が愛用していたさまざまなものといっしょに、和室に飾られたお骨と遺影の前に置きました。
<母さんに電話してきて…>
そんなむなしいことをまた考えてしまいます。
そんな気持ちは一ヵ月が経っても変わりませんでした。
毎晩、眠ることができず、寂しくて、苦しくて、胸がつぶれそうでした。大声で泣きたいのですが、おなじように我慢している家族の前で泣いてばかりもいられないので、こらえるしかありませんでした。
そんなある夜のことです。眠れずにほんやりと天井を見ていると、突然、携帯のアラームが聞こえてきました。間違いなく息子が好きでアラームにセットした音楽です。
飛び起きて、音が聞こえるほうに走っていくと、それは居間のテーブルの上で鳴っていました。
暗闇のなかで携帯は青白い光を放っています。
私は音楽を流しつづける携帯を取り上げると、胸に抱きしめて布団に入りました。すると、不思議なことにスッと眠ることができたのです。
しかし、翌朝、私は奇妙なことに気がつきました。あの携帯が鳴ったとき、私は居間のテーブルに、それを取りに行きました。たしかにそこにあったのです。
ところが、居間にはテーブルなどないのです。息子の葬儀が終わり、お骨と遺影を飾る場所を決めるとき、居間のテーブルを和室に運んで使うことにしたのですから。しかも、携帯電話はずっと和室の遺影の横に置かれていて、家族のなかで移動させた者もいなかったのです。
なぜ、夜中にテーブルが居間に移動し、携帯電話がそこにあったのでしょう。それに…、携帯電話はすでに解約してしまい、もちろん電池も切れ、使えない状態でした。そんな電話がなぜ鳴ったのでしょうか?
私には、息子からのメッセージとしか思えません。
悲しい話しですね、子供に先に逝かれる事ほど親にとって辛いものはない