ダイニングの照明は既に点き、暖かな光が部屋全体を包んでいた。西日が薄手のレースのカーテン越しに差し込み、その光と室内灯が調和して、心地よい空間を作り出していた。
私はいつものように鞄を置き、ネクタイを緩めながら、キッチンへと向かった。
Iは包丁を動かしながらも、私の方を振り向いて笑顔を見せた。彼女は人参を刻みながら、少し頬を紅潮させていた。
「今日も遅くなったね。疲れた?お風呂沸かしてあるわ」
その優しさに、私は思わず微笑み返した。
「ありがとう」
これが当時の日常だった。穏やかで温かい日常。息子を失った痛みを共に乗り越え、お互いを支え合う中で、二人で築き上げた大切な平穏だった。
息子が亡くなってから一年。私たちは少しずつ、その喪失と向き合いながら、生きる道を模索していた。
――その平和な日々を理解するには、私たちがどんな時間を経てきたのかを知る必要がある。それは今から四年前にさかのぼる。
息子のTはまだ四歳になったばかりの頃で、ADHDと診断され、言語障害もあって、まともな言葉を話すことができなかった。
「ま、ま」「あー、あー」と、単語の断片や意味のない音を発することはあっても、文章として伝えることはほとんどできなかった。それでも、Tの表情や仕草には豊かな感情があふれていた。
「ほら、これで遊んでみようか」
「今日はどんな絵を描いたの?」
「うん、すごいじゃないか!」
そう声をかけながら、私はTと向き合い、彼の世界を理解しようとしていた。
けれど、Iはそうではなかった。
























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