あの人は誰だろう?
暗闇の中立ち尽くしている私の目の先には、背中を向けてうずくまる誰かがいた。
その誰かは私に気がついたのか、ゆっくりと顔を上げてこちらへ振り返ろうとしている。
それを見てはいけない。
確証は無いが、私の本能が激しく警鐘を鳴らしている。それを見たら…。
顔を背けなければ。いや、今すぐここから逃げ出さなければ。
誰かがこちらへ振り返る前に。私にその顔を向けてしまう前に。私がその顔を認識してしまう前に。でなければ恐らく自分に待っているのは…
“死”
そう直感が告げるが、私の体は動かない。指先ひとつ、瞬きすらも。心臓の鼓動が私の焦燥感を更に駆り立てる。私の頭の中は逃げろの文字で埋め尽くされているが、体は依然として動く気配がない。
こっちを見るな。
気付けば誰かは、立ち上がっていた。体がこちらを向こうとしている。まだ顔は見えていない。
動け動け動け…
ゆっくりと体がこちらへと向いてきている。見てはいけないものが、”死”がこちらへ振り向こうとしている。
あっ
誰かには、顔がなかった。正確に言えば漆黒の輪郭の上に胸までの髪がある。
異様な姿に恐怖が込み上げてくる。そして、振り返ったそれはゆっくりとこちらへ近づいてくる。
来るな来るな来るな…
眼前に迫る”死”は、無慈悲にも私に逃避を許さず、ただ受け入れよとその手を私の首へ巻き付ける。
苦しい。
首を締める力が増していく、私を確実に”死”へと誘うために。抗わなければ、逃げることが叶わないのであれば、何か他の方法を。私は息苦しさの中必死で思考した。生きるために。そして、それに呼応するかのように左手に感覚が有ることに気がついた。
殺さなければ。私を殺そうとしている目の前のこいつを。
『はぁはぁ、はっ…』
私は激しい主人の息遣いで、目が覚めてしまった。何かとても嫌な夢でも見ているのだろうか。
娘や息子が起きてしまわないか、寝不足からの朝のドタバタを想像するだけで憂鬱になる。
『あっ…、はぁはぁ。』
どんどん息遣いが激しくなっていく。起こしてあげた方が良いのか覚めきらない頭の中で思案する。
殺さなければ…
私の頭の中はその言葉に上書きされ、唯一動かすことが出来る左手を、誰かの首へと伸ばす。殺さなければ…殺さなければ…。
バシッ
急に手を弾かれ、手に感じた衝撃で目が覚めた。やけに息苦しい。妻が私に何か話しかけている。
ハラハラドキドキのお話でした。
今更ですが、一週間前にあった出来事を物語風に文字に起こしてみました。