最強な守護霊?
投稿者:鮭梅 (1)
これは私自身の体験です。
私は50代半ば。これまで平凡な人生を送ってきました。
しかしこれまでを振り返ると、命にかかわる事件や事故をかわしてきた経験がいくつもあります。
あまりにもそのようなエピソードが多いので、最強な守護霊が私を守っているのではないかと思うことがあります。
私は福岡県で生まれました。私の地元は、数年前からニュースを騒がしている超武闘派の暴力団のお膝元です。
ある日、両親が外出したため、1000円をもらって昼食を外で食べることになりました。
前から気になっていたラーメン屋があったので、そこで昼食をして、自宅に帰りました。
自宅に帰るとテレビのスイッチを入れました。ローカルな情報番組をやっていたのですが、臨時ニュースが割り込んできました。
そのニュースでは、暴力団抗争で拳銃発砲事件があったことを報じていました。
「物騒だな」と思ってテレビ画面を見ていると、私の眼は釘付けになりました。
拳銃が撃ち込まれたのは、先ほどまで私がいたラーメン屋。ニュースでは銃弾が撃ち込まれた店内を映していました。どうやら銃弾は私が座っていた席の横にある柱に撃ち込まれたとのこと。
そのラーメン屋は2階に暴力団の事務所がありました。敵対していた組員は路上から2階の組事務所に向け、拳銃を数発撃ったのですが、その一発が誤って1階のラーメン屋に撃ち込んでしまったようでした。
もし私がそのラーメン屋に行くタイミングがずれていたら。。。
大学を卒業後、関西の企業に就職しました。ある年の12月、私は東京事務所に移動になりました。人事異動は4月か10月が多く、季節外れの辞令に戸惑いました。
引越しを終え1ヶ月過ぎると、東京での生活に慣れ始めてきました。そんなある日の早朝、大阪に残してきた彼女からの電話で叩き起こされました。
彼女は「とにかくテレビを見ろ!」としつこく言うので、渋々テレビのスイッチを入れました。次の瞬間、私の眠気は一気に吹き飛びました。
テレビ画面では、一ケ月半まで住んでいた街が、ゴジラが通った後のような惨状なっていました。
その日は1995年1月17日。阪神淡路大震災が発生した日です。
神戸市灘区に住んでしました。地震発生後しばらくして神戸に行きました。そのとき見た昔の住まいは粉々になっていました。
もし東京への転勤がなかったら。。。
東京では輸出の仕事をしていました。しかし当時は超円高で輸出すればするほど赤字になるという状況でした。1995年の春には1ドル79.75円を記録するほどでした。
このため、人件費を抑えるため、会社では月1回の平日全社で休むこととなりました。
最初の一斉休暇は3月でした。東京に引越してから転入手続きをしていなかったので、その日は手続きのため、近くの役所へ行きました。
役所に着くと、ロビーにあったテレビでは、地下鉄で大事故が起こったらしく、ヘリコプターからの映像が映し出されていました。
事故が起こった地下鉄は日比谷線。私が通勤に使っている路線でした。
しかししばらくすると、それは単なる事故ではなかったことがわかりました。
その日は1995年3月20日。地下鉄サリン事件が発生した日です。
もしその日一斉休日ではなく、日比谷線に乗って会社に行っていたら。。。
数年後、転職しました。転職した会社が愛知県での勤務を求めていたので、愛知県に引っ越しをしました。
しかし引越し直前まで荷造りをしていなかったので、引越し前夜に徹夜で荷造りをしました。
いい話だなー(*^^*)
東日本大震災の時はユーは何処にいたの?