観客
投稿者:櫻井文規 (4)
映画館で働いていた事がある。
業務はチケットのモギリや、来客が引いた後の劇場内の清掃等だった。来客がひとりでもいれば、上映後の清掃は必要だ。その日もわたしは清掃用具を持ち、エンドロールが終わり場内が明るくなるのを控え待っていた。
その時の上映タイトルはホラーで、お世辞にも売れているとは言い難いものだった。その回も来客は一名こっきり。間違いなくチケットは一枚しか売れていなかった。
明るくなった場内からおっかなびっくりしながら出てきたのは四十代ほどの男性で、廊下で私と出会うと驚いて飛び上がっていた。
「いや、怖かったよ」
男性はそう言って笑った。
「ホラー映画なのに俺しかいないのかと思って、さすがに怖くてさ」
そう続けた男性からゴミを受け取りながら、私は「ん?」と首をかしげた。男性はよほど怖かったのか、ひとしきりそこで私に話しかけた後に満足そうに帰って行った。
「俺しかいないのかと思ったけど、もうひとり客がいたからちょっと安心した」
その言葉に違和感を持ちながら劇場内に入ってみたが、やはり他に人はいない。他の映画を観た人がそのまま別の劇場内に入る事例は確かにある。しかし私はエンドロール前に待機していた。が、出てきたのは男性だけだった。では、男性が見ていたもうひとりの観客とは誰だったのか。
同じような事例はその後も幾度かあった。いずれもチケットが一枚しか売れていない時だった。
「ああ、たまにあるよ、そういうの」
何気ない雑談の中でそれを話題に出した時、マネージャーが事もなさげに肯いた。
いわく、営業終了後に新作のフィルムチェックをしている時など、やはり誰かがシートに座っているのだという。性別は分からない、でも確かに誰かがいる。
それも何回か繰り返す内に慣れたんだけどね、と言って笑った。
「でも映画好きに悪い人はいないと思うから大丈夫だと思うよ」
根拠も無くそう続けたマネージャーに、私は肯かざるを得なかった。
ただ、個人的に気になる事がある。同席する”彼ら”に関する目撃話はなぜかホラー映画の時に集中しているのだ。
霊的な存在はホラー映画が好きなのだろうか?
転職してしまった今となっては、その後どうなっているかを確認する事は出来ないのだけれど。
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