俯く人
投稿者:櫻井文規 (4)
私は東北の小さな町で生まれ育ち、物心つく前から山や森に近く暮らしていた。
冬場は雪で覆われてしまうが、標高はさほど高くはなく、子どもの足でも数十分も登れば町を広く見下ろすことの出来る丘に着けるような環境でもあったため、私はちょくちょくその丘に行っていた。
針葉樹と広葉樹からなる混合林で、落葉の積もる土壌はところどころに小さな沢もあり湿った感のある場所だった。とは言え、クマやイノシシといった動物に関する目撃事案も特に報告の無い場所でもあり、私は警戒する事もなく野山を歩きまわっていた。
しかしある日、私に懇意にしてくれていたものがこう告げてきた。
「陽が沈んだら山に来てはいけない。そして、山中でずっと同じ場所から動かず俯いたままの人がいたら、近寄らずすぐに離れなさい」
それがどういう意味を持つのか、私は長く分からなかった。そもそも、山菜採りに来る人も稀に見かけられる場所なのだ。そういう人は俯いていたりしないだろうか。
ある時、私はいつものように山に遊びに行った。その日は自宅から近いいつものルートではなく、むやみに広く作られた駐車場から入る散策用のルートにした。あずま屋があったりするハイキング用の道だ。
天候はあまり良いとは言えず、針葉樹の葉陰による薄暗さが増していた。
まだ夏の時期で、夕方より前だった。ひぐらしこそ鳴きだしてはいたが、いつもならばまだ明るいはずの時間帯だった。私はひと休みしようとあずま屋に足を向けた。そうしてあずま屋に向かう階段に足をかけてすぐに、言い知れぬ違和感を感じて歩みを止めた。
あずま屋の横の松の木の下に人がいる。小さく揺れながら、俯いたまま立っている。
雨が降り出してきた。周りの枝葉にパタパタと当たる。風が冷たくなり、半袖の手先がヒヤリと冷えていく。
あずま屋の横の人は動かない。俯いたまま、やはり小さく揺れている。
あれは
あれはたぶん生きている人ではない。
そう思いついた私の脳裏に、ふと、小さな頃から言い含められてきた言葉が浮かび上がった。
「陽が沈んだら山に来てはいけない。そして、山中でずっと同じ場所から動かず俯いたままの人がいたら、近寄らずすぐに離れなさい」
初めて理解出来たような気がした。
私は階段から下りて踵を返し、一気に走った。後ろは振り向かなかった。そうして駐車場まで戻り、ようやく足を止めて振り向いた。
余談ではあるが、その日私があずま屋に向かうより数日前に、あずま屋の横で首吊りした人がいたらしい。発見された時には既に亡くなっていたとの事だった。
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