深く暗い海の底へ
投稿者:すもも (10)
私にはOちゃんという今は亡き大親友がいました。
Oちゃんとは小一からの付き合いで、人見知りだけど話せば照れ屋で恥ずかしげに笑う表情なんか可愛くて。
二年生になる頃には互いの家で寝泊まりするほど親密な関係になり、常に一緒に遊んでいたと思います。
「私ちゃんはいいな。人前でもハキハキ喋れるし、友達も多いし」
三年生になったある日、Oちゃんはそんなことを口にしました。
私はOちゃんと違い、ガサツと言うか大雑把な性格で男子とも平気で口がきけるタイプだったと自覚しています。
引っ込み思案なOちゃんから見て、私は理想の存在だったようで、たまに人付き合いのことでも相談を受けるようになりました。
「私からしたらOちゃんは女子らしくて可愛いと思うけど」
私の言葉に嘘はなく、男子からはOちゃんは口数は少ないけど優しいから嫌いじゃないと耳にします。
おかっぱに近い黒髪がよく似合う日本人形のように可憐な容姿も受けがよく、常に寝癖と戦ってるような私とは比較できない可愛らしさがOちゃんにはありました。
今思うと、私とOちゃんは本当に正反対なタイプだったなと実感します。
そんな可愛くて優しいOちゃん。
彼女が亡くなってもうすぐ五年が経とうとします。
Oちゃんが亡くなったのは、私達が四年生になった夏休みのことでした。
Oちゃんが家族で海水浴に行った翌日、私は母からOちゃんが亡くなったと知らされたのです。
死因は溺死で、何でもちょうど親が目を離した際に海水浴客が運転するプレジャーボートの事故に巻き込まれ、その時に頭部を損傷して水没。
年齢のわりに華奢なOちゃんが溺れているのに誰も気づかず、しばらくして救助されたときには既に溺死していたそうです。
Oちゃんは翌日私と遊ぶ約束をしていて、その事を両親にも話していたらしく、何もせずにいられなかった両親は何気無しに私宅に連絡したようで。
ただ、僅かに理性が甦ったのか、私が傷つかないように私の母に訃報を伝えたそうです。
それからはあっという間でした。
Oちゃんの葬式や学校での報告。
毎日がOちゃんとの別れを日増しに実感させていき、私は毎日泣きじゃくっていました。
それから、悲しみが晴れることなく六年生になった私。
未だにOちゃんの居ない日常に慣れる事はなく、形見のペンダントを肌身離さず着用していました。
このペンダントは、Oちゃんが海に行った際に購入した私宛のお土産で、葬儀後にOちゃんの両親が私にくれたものでした。
二つの手がクロスした、まるで友情を確かめるごとく握手する二人をイメージしたようなデザイン。
不思議なことに、これを身に付けていると悲しみから多少は救われるのです。
学校行事の臨海学校に参加することになった私は、久しぶりに海で泳ぐことになり多少ですがワクワクしていて、でも当日になるとやっぱりOちゃんの事故が尾を引いて不安になるのでした。
当日の自由時間、浅瀬限定で海で遊べることになり、生徒達は我先にと浜辺を駆け出していきます。
「私ちゃんも行こ?」
「浅瀬だし、足がつくから大丈夫だよ」
子供の純粋さが恐ろしい未練のようなものになってしまうのかな
ほっこり話だと思ったら、後半めっちゃ怖かった
めっちゃ怖くて読み応えあった。
ていうか作者さん中3!?