最初にその女を見たのは僕が小学2年生のときだった。今から17年前、2002年のことである。
そのとき、僕は家の前にある田園で友だちと遊んでいた。どんな遊びをしていたのかは憶えていないけれど、季節が冬だったことは確かだ。田んぼが干上がり、刈り終えた稲の根元がずらりと並んでいたのだから、間違いない。
女は僕の家に入ろうとしているところだった。僕は最初、母が帰ってきたのかと思った。母は当時パートをしていて、夕方5時まで帰らないはずだった。放課後、母が帰る時間まで近所に住む友達と外で遊ぶのが、僕のルーティーンだった。
僕は友達に時間を訊いた。彼はいつも腕時計をしていたからだ。誕生日に買ってもらったカシオの腕時計で、右利きのくせになぜか右腕にそれをつけていた。そんなことまで憶えているのに、彼の名前は一文字も思い出せないから、記憶って不思議だ。とりあえず、ここでは彼を時計くんと呼ぶことにする。
「よじ、はん」と時計くんは言った。午後4時半……まだ母が帰る時間には早い。しかし母は体があまり強くないため、体調を崩し早引けしてくることもあった。だから僕は、その女が鍵を開けずに家に入っていくまで、てっきり母が帰宅したのだと思っていた。
そう、女は閉まっているはずのドアを開けて、家に入っていったのだ。母は決してしっかり者ではなかったが、家の鍵を閉め忘れたことは一度もなかった。
嫌な予感がした。僕は弾かれたように家のほうに駆けて行った。近づく自分の家が、やけによそよそしく、他人のもののように見えた。家の前まで来て、玄関のドアを力強く引いた。やはり鍵がかかっていて、開けることはできなかった。
追ってきた時計くんが「どーしたんだよう」と尋ねた。
僕は時計くんに目を瞑るように言いつけ、玄関マットの下に隠されていた鍵を手に取った。例え友達であっても、家の鍵の在処を明かすわけにはいかない。
鍵を開けると、「ちょっと待ってて」と言い残し、僕は家の中に入った。嫌な予感は続いていた。
家の照明は消えていて、薄暗く、じめじめとした空気が僕を包んだ。もし家に誰かいるとしても、それが母ではないことが雰囲気で分かった。
僕は確かにこの目で、見知らぬ女が入っていくのを見た。黒い長髪で、冬なのに白いワンピースを着て、手に真っ赤な日傘を持った女を。
廊下を進んでいく。一歩一歩ゆっくりと歩を進めるごとに、神経が研ぎ澄まされていく。僕は恐る恐る、リビングに続くドアを見た。誰もいない。一見、普段と変わったところはない。ただ、厚い雲が垂れ下がったような、どよんとした空気が不気味に漂っている。
リビングを出て、僕は廊下を挟み向かいにあるドアを開いた。父の寝室だ。
ぎい、と軋む音がしてゆっくりとドアが開かれた。父の書棚、ベッド、クローゼット、と順々に明らかになっていく家具たちを見つめ、ほっと息をついた。誰もいない。
その時、僕は誰かに肩を捕まれ叫び声をあげた。
「なにしてんの」
振り向くと、そこには時計くんがいた。
「なんだお前か。脅かすなよ」
「なにしてんの」
そこでようやく僕は時計くんにも事情を説明した。時計くんはなるほど、と言ったきりだった。
僕たちは2階へ上がった。階段を一段上がるたびに、嫌な空気の密度も増していくようだった。
階段をのぼりきった途端、僕は吐き気と眩暈に襲われ倒れそうになった。時計くんが心配してくれたが、僕はただの立ち眩みだと答えた。
僕は嫌な気配が、突き当りの納戸から漂ってくるのを感じた。その納戸は無駄に広く、窓も照明もないため昼間でも懐中電灯なしではまともに歩くことさえできない。僕は悪さが過ぎると親によくそこに閉じ込められるから、近づきがたい場所でもあった。
時計くんがトイレとや僕の部屋のドアをパタパタ開けながら、「ほんとうにだれかいるの~」と間延びした声で言った。
「あの部屋から、嫌な気配がするんだ」と、僕は納戸を指さして言った。僕は納戸の前に立ち、引き戸の向こうにある、嫌な気配の根源を睨みつけた。
「ここ?」とやってきた時計くんは恐れる様子もなく引き戸をガラリと開け、躊躇せず納戸へ入っていった。あっ、と僕が叫んだが、もう遅い。時計くんは部屋の奥の奥、暗闇の中へ姿を消した。
そもそも、僕は家の外で母の帰りを待つべきだったのだ。しかしそうしなかったのは何故だろう。好奇心や冒険心からではない。たぶん、僕は負けたくなかったんだと思う。何に?わからない。もう、何もわからない。17年前のことなんて、なにも。
間もなく、納戸の奥から、誰かが飛び出してきた。恐ろしい顔をしたそれは時計くんだった。今まで見たこともない、恐怖にまみれた形相を浮かべた彼は、骨が砕けそうなほど強く僕の手を掴み疾走した。
僕はわけがわからないまま手を引かれ、あっという間に階段を駆け下り、廊下を抜け、家の外へ出た。その間僕は何度も後ろを振り向きたい衝動に駆られたが、結局一度も振り返ることはなかった。
白いワンピースに赤いスカートが気になって話に集中できんかった
「日傘」の間違いです。修正しました。
文章が巧みすぎてどんどんのめり込んでしまった…ほんと怖かった……
母ちゃんには何もなく?
時計くんも高橋君も取り込まれたのかな?
怖い話だね!
俺も夜中三時半頃コンビニ行く途中、
白いワンピか全裸のロン毛の女がコンビニ隣の店の軒下に突っ立ってる見たことあるよ!
特に実害はなかったけど。
初めましてこんにちは。
女の姿を想像してゾクゾクしながら読ませていただきました。
とても怖かったです。
実は、こちらの作品を朗読させていただきたいのですが宜しいでしょうか。
もし可能でしたら、こちらのタイトルの読み方が「かん」で良いのかどうかを教えていただけると有難いです。
よろしくお願いします。