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不思議体験

しんいちさんによる不思議体験にまつわる怖い話の投稿です

裏かくれんぼ 五の怪
長編 2026/08/13 23:11 36view

 そして金曜日になった。
 
 仕事を終えた山下さんは、一度自宅へ戻った。
 軽くシャワーを浴び、着替えを済ませる。
 
 先輩さんの家は駅から近い。
 
 もしかしたら酒を飲むかもしれない。
 そう考え、車ではなく電車で向かった。
 最寄り駅に着くと、コンビニへ立ち寄る。
 
 弁当。
 菓子。
 酒。
 
 それらを買い込み、先輩さんの家へ向かった。
 玄関を開けると、見慣れた部屋だった。
 
 以前と変わらない。
 だが、どこか生活感だけが薄くなっているようにも感じたという。
 
 ヨウコさんがいなくなったからだろうか。
 
 そんなことを考えたそうだ。
 
 それから二人は食事をした。
 酒も少し飲んだ。
 釣りの話をした。
 ゲームの話をした。
 
 まるでいつも通りだった。
 あの話さえなければ。
 
 そうして時間は過ぎていく。
 時計の針が午前一時を指した頃。
 先輩さんが立ち上がった。
 
「そろそろ始めるか」
 
 山下さんの背筋が少しだけ強張った。
 儀式の準備はすでに終わっていた。
 ぬいぐるみも用意されていたらしい。
 先輩さんは慣れた手付きで手順を進めていった。
 
 その様子を見ながら山下さんは違和感を覚えたという。
 
 妙に手際が良い。
 本当に数回しかやっていない人間の動きには見えなかった。
 
 そして。
 
 いよいよ押し入れへ隠れる段階になった。
 
 押し入れの上段は綺麗に片付けられていた。
 中の荷物は全て外へ出されている。
 人が入るためだけに用意された空間。
 
 そんな印象だったという。
 
 部屋の中はテレビの光でぼんやり明るかった。
 だが押し入れの奥は暗い。
 
 山下さんは念のため、いつも鍵束に付けている小さなライトを胸ポケットへ入れた。
 
 懐中電灯ではなく、周囲を照らせるランタン型のものだった。
 
 そして二人は押し入れの中へ入った。
 
 思ったより広かった。
 男二人でも何とか座れる。
 襖の隙間から部屋の光も少し入ってくる。
 完全な暗闇ではなかった。
 
「いつもどれくらいで来るんですか?」
 
 小声で尋ねる。
 
「その時によるかな」
 
 先輩さんも小声で返した。
 
「どんな感じで現れるんです?」
 
「気配かな」
 
 そんな会話を交わしたあと。
 二人は黙った。
 
 待った。
 そして数分が経った。
 何も起きない。
 
 時折。
 
 パキッ。
 ガタッ。
 
 そんな音が聞こえる。
 だが古い家なら珍しくもない音だった。
 
 さらに時間が過ぎる。
 何も起きない。
 
「来ませんねぇ……」
 
 山下さんが呟く。
 
「もう来てもおかしくないんだけどなぁ……」
 
 先輩さんが答える。
 
 その時点で山下さんは少し安心していた。
 同時に少し残念でもあった。
 怖いもの見たさ。
 そんな感情もあったのだろう。
 
 だが現実は退屈だった。

 
 秋とはいえ、押し入れの中に男二人。
 
 空気は悪い。
 腰も痛い。
 同じ姿勢も辛い。
 集中力も切れてくる。
 
 むしろ、
 ――男二人で押し入れに隠れている状況の方が面白い。
 
 そんなことすら考え始めていた。
 
 ――もうやめませんか。
 
 そう言おうと思った。
 先輩さんへ声を掛けようとした。
 その瞬間だった。
 
 空気が変わった。
 
 スゥ――――ッ。
 
 まるで部屋中の空気が重く沈んだような感覚。
 心臓が跳ね上がった。
 
 ドクン。
 ドクン。
 ドクン。
 
 鼓動が耳の中で鳴り響く。
 
「何だ……?」
 
 そう思った時だった。
 押し入れの隙間から差し込んでいた光が、
 
 一瞬。
 途切れた。
 
 誰かが前を横切ったように。
 
 チラ。
 チラ。
 チラ。
 
 光が遮られる。
 外に誰かいる。
 
 そう感じた。
 
 そして山下さんが先輩さんへ声を掛けようとした時。
 
「ヨウコがぁ……来たよぉ……」
 
 先輩さんが呟いた。
 
 妙だった。
 力がない。
 夢を見ながら話しているような声だった。
 
 その直後。
 押し入れの襖が、
 
 ペコッ。
 
 外から押された。
 山下さんの全身が硬直する。
 
 続いて。
 
 シューッ……
 シューッ……
 シューッ……
 
 誰かが襖を撫でる音がした。
 
「ヨウコぉ……」
 
「今日は遅かったねぇ……」
 
 先輩さんが話し掛ける。
 返事は聞こえない。
 だが先輩さんは会話を続ける。
 
「今日はねぇ……」
 
「山下君も来てるんだよぉ……」
 
「覚えてるぅ……?」
 
 そして。
 一人で笑った。
 
「へへへ……」
 
「そうなんだぁ……」
 
 山下さんは耐えられなくなった。
 胸ポケットからライトを取り出す。
 
 だが焦っている。
 指が動かない。
 スイッチはどこだったか。
 回すんだっけ。
 押すんだっけ。
 
 手が震える。
 
 ようやく光が点いた。
 そして先輩さんへ向ける。
 
 その瞬間。
 山下さんは理解できない違和感を覚えた。
 
 腕が多い。
 

 先輩さんの腕が、
 四本ある。
 
 思考が止まった。
 視線がゆっくり上へ向かう。
 
 そして。
 
 先輩さんの背後に、
 誰かがいた。
 
 女だった。
 
 先輩さんを後ろから抱いていた。
 顔を寄せていた。
 まるで恋人に甘えるように。
 まるで愛おしむように。
 
 そして先輩さんは。
 虚ろだった。
 目に光がない。
 笑っている。
 だが生気がない。
 
 何かに酔っている人間のような顔だった。
 山下さんは動けなかった。
 
 逃げたかった。
 だが動けなかった。
 
 後になって理由を聞くと、山下さんはこう答えた。
 
「清水の話を思い出してたんですよ」
 
 押し入れを開けてはいけない。
 
 絶対に開けてはいけない。
 
 そのルールだけが頭の中を回っていたという。
 
 だから耐えた。
 ただ耐えた。
 
 先輩さんは誰かと話し続けていた。
 だが声は一つしか聞こえない。
 先輩さんの声だけだ。
 相手の声は聞こえない。
 
 ただ時折。
 
「へへへへへ……」
 
 と笑う。
 
 その様子を見続けるしかなかった。
 
 何分経ったのか分からない。
 五分だったのか。
 三十分だったのか。
 その頃には時間の感覚も曖昧になっていたという。
 
 そして山下さんは後にこう言った。
 
「精神が壊れる境界線ってあるんですよ」
 
 その時、自分はそこに立っていた。
 そう感じたのだという。
 
 ふと。
 空気が軽くなった。
 
 重圧が消えていく。
 同時に女の姿が揺らいだ。
 ぼやける。
 輪郭が崩れる。
 
 そして。
 一瞬だけ。
 その表情が変わった。
 悲しそうな。
 寂しそうな。
 何かを諦めたような顔。
 そんな風に見えたという。
 
 そして初めて。
 その女が山下さんを見た。
 何かを言った。
 
 口が動いた。
 だが聞こえない。
 音だけが存在しない。
 そして姿は薄れていき、
 完全に消えた。
 
 直後。
 先輩さんが呟いた。
 
「あぁ……」
 
「ヨウコ帰っちゃったぁ……」
 
 その一言で限界だった。
 張り詰めていたものが切れた。
 
「うわあああああっ!」
 
 山下さんは叫んだ。
 襖を開け放った。
 
 荷物を掴んだ。
 玄関へ走った。
 
 靴を履く余裕もなかった。
 靴を手に持ち。
 靴下のまま外へ飛び出した。
 
 そして振り返ることなく、
 夜の街を全力で走ったという。

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