あれはいったいなんだったのか?
ぼくは3年前、危うく命を落とすところでした。
ぼくはある島に祖父から引き継いだ祖父の家があり、ぼくは昔そこに住んでいた母とリノベーションをし、簡易民宿を副業で営んでいました。目の前が海で、近所には3件の民家しかない過疎地でしたし、その集落に入るには標識もないので、案内されないと誰も来ないような穴場スポットでした。
しかし、最近のSNSの効果もあり、インスタ映えする風景などを載せたことにより、空港からも遠いながらも、ありがたいことに予約は絶えませんでした。
運営は現地の人を雇ってましたが、僕自身も1ヶ月に1度現地に行き、簡易民宿の予約がないときにそこに泊まってました。
そのときもいつもと同じように現地に向かい、夏だったこともあり、1人でBBQをしながらお酒でも楽しもうと材料を買って向かい、準備をしていました。
19時頃、日も落ちてきた頃、1杯目のビールを開けて、網で肉焼き始めようかと思ったその時、ワゴンが民宿の前に止まりました。
こんな時間に?おかしいなーと思っていると。助手席からやけにニヤニヤした女性が降りてきて、「すいませーん。ここらへんに泊まれるとこありませんか?」と聞くのです。ぼくは答えました「いや、ここらへんは民家しかないので泊まるとこはあれませんよ」と。すると運転席から男性と、そして後部座席から10才くらいの子供がこちらも妙にニコニコしながら降りてきて同じことを言うのです、「すいませーん、ここらへんに泊まるとこないですか?」と。変だなと思いましたが、ぼくは同じ返答をしました。「いえ、ここらへんは民家しかないので、泊まるとこはないですよ」と。ここは簡易民宿なのはわかってましたが、今日はバカンスを楽しみにきており、ひとりの時間を大切にしたかったのでできればかかわり合いたくないという気持ちが勝っていましたか。だから一刻も早く追い払い、1人でBBQを楽しみたかったのです。しかし、それに対しての返答もなく3人で妙にニコニコしているのです。左から男性、子供、女性。そして、一番気になったのは3人ともアフロだということ。恐らく家族なのだろうけど、その奇妙な感じに違和感を感じましたが、困っているのだろうと思い、先程の気持ちとは裏腹に思わずこう告げてしまいました「よかったらうちに泊まりますか、部屋空いてますので。そして、今からBBQするので、一緒にどうですか?」と。今ではあんなこと言わなければよかったと思っています。しかし、非常に感謝され、「では一緒に楽しみましょう」と言われ、なぜかこの言葉が向こうに主導権を取られたようなそんな気持ちになりました。部屋に通した後、共にBBQをすることになり、荷物を部屋においたあと、20分後くらいに出てきたのを覚えています。そこから、、、、何があったのか、、、、正直、このときの会話の内容や、状況を1ミリも覚えておらず、、、、どれだけ思い出そうとしても無理でした。そこからどうなったのか、、次に気がついたのは、、、、遠くの方から男性が呼んでいました、「早く起きろよー」と肩をずっと叩かれてることに気がつき、「なんやねん」と思った次の瞬間、ハッと目を醒ますと、目の前の防波堤を越えて、向こう側の砂浜の波打ち際で半分海に体が浸かった状態で目が覚めました。まったく状況がつかめず、とにかく口の中にじゃぶじゃぶと海水が入ってきてる。ここから脱出しないとヤバい。それだけ思い、なんとか動こうとするのですが、体がピクリとも動きません。顔は海側を向いてるので、右目は砂浜に埋もれる状態で海水に使っており、このままでは数分で満ち潮により全身が水没する。手、そして足に、動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動けと何度も何度も身体中に命令を送りました。何度も念じると左手がなんとか動きだしました。左手をなんとかつき、海側から脱し、浜辺の方に転がることができました。なんとか危機を脱しましたが、それでも状況が掴めず、とにかく情報がほしいと思い、唯一動いた左腕に時計があることを思いだし、時計を見ると、なんと午前3時だったのです。BBQをはじめた時間から8時間も経っている。まったく記憶がない。が、しかし、この強烈な頭の痛みはなんだ、、考えるだけで頭が痛い。ぼくはさらにそこからゆっくり体を動かすようにしていき、空が明るくなりはじめたときようやく立ち上がることができました。それでも歩くたびに強烈な頭痛を伴い、さらには左足が全然動きません。見ると膝が紫色に腫れており、これは直感的に折れてるなと思いました。
顔をさわるとザラザラと砂がついてることがわかりました。とにかく、右足だけで砂浜を歩き、左足をずりながら、海側から階段をあがり、道路側に出ました。
するとぼくの簡易民宿側からあの家族を乗せたワゴンが走ってきました。まだ朝になったとこ、、こんな早くに出ていくのか?不思議に思いました。すると命からがらのぼくの横で止まり、助手席側の窓が開きました。すると助手席の女性、運転席の男性、そして後ろからニュッと顔出した子供3人がまた妙にニコニコした面持ちでこちらを見ていました。そして、運転席から男性が言うのです「いやー昨夜のBBQ本当に楽しかったですね」、そして続けて女性が言うのです「本当に楽しかったです。」と、すると子供が言うのです「でも、お兄ちゃんは残念だったね。また会おうねー」と。ん?残念だった?なんのことだ?ぼくはすべてに混乱しており、何を言っているのかもわからずにただただ呆然としていると窓はしまり、行ってしまいました。ぼくは命からがら民宿に戻り、とにかく体を洗おうと風呂場に行き鏡を見て驚愕しました。ぼくの顔は砂まみれどころか、血まみれで、顔が真っ赤になっていました。この顔を見てあの3人はニコニコしていた。普通の人なら、何があったんですか?となりそうなものだが、、、その瞬間急に強烈な恐怖が襲ってきました。あの人たちは何者?ぼくは昨夜彼らと何かしたのか?思い出そうとするとまた頭が強烈な痛みに襲われました。と、同時にあまり感じていなかった左足に耐え難い激痛を感じました。誰かにこの状況を伝えておかないと僕に何かあったら大変だと思いとりあえず彼女に電話しました。彼女はもちろん必死に心配し、「あなたに何があったなんてどうでもいいから救急車呼んで」と怒られました。ぼくは、彼女の言葉にハッとさせられ、彼女との電話を切り急いで救急に電話しましたが、日曜日でド田舎ということもあるのか、なかなか電話が繋がりません。と同時に急にここにはぼくしかおらず何かあったら【死ぬ】と孤独死が頭をよぎりました。こうしちゃいられない、自力でも病院に行かないとヤバいと思い、冷凍庫に入れていたカチカチになってしまった酎ハイをタオルにくるみ、左足に縛り上げ、冷たさで感覚をなくして、頭にも氷の袋をあてて、最後の力を振り絞り、残った右足だけで車を運転し、40分ほどかかる大きな病院まで走りました。すでに出血でもうろうとしておりましたが、なんとか病院の駐車場についたとき、ぼくにはもう体力が残っておらず、駐車場に倒れ込んだところをたまたま夜勤あがりの看護師さんに発見され病院に運び込まれました。検査の結果、左膝複雑骨折、頭の方は外傷性クモ膜下出血。ドクターヘリで大きな病院に運ばれることになりました。あと少し遅かったら頭の方で命を落としていたかもと。冷静な対応で一命を取り留めました。先生曰く、防波堤から海向きに頭と左膝から落ちたのではないかと。
病院から両親にも連絡が行き、大泣きされました。親からはお酒の飲みすぎで酔っぱらって落ちたのだろうと。そうなのか?とも思いましたが、過去に経験がないからというわけではありませんが、ぼくは過去、お酒でやらかしたこどがなく、結構強い方なので、記憶をなくしたこともありません。後日、父が助けに来てくれ、ぼくがBBQの後片付けもしてないから行ってほしいという要望を受け行ってもらうと、冷蔵庫に肉やお酒がはいったままで、庭にBBQセットが置いてあり、その横のテーブルの上に開けて飲んでないビールがあったそうです。ぼくが最初にあけたビールだと思いました。つまりそこからお酒を飲んでないだと思いました。ゴミもなかったとのことです。
近所の民家のかたが心配してうちの父に話しかけてくれたみたいなのですが、たまたまその夜20時頃に前をとおりかかったとき、妙なものを見たと言うのです。ぼくが暗闇に向かって怒った口調で叫んでいというのです。しかし記憶にありません。空白の8時間に何があったのか?それはだれもわかりません。
そして、海辺で横たわってるときに「早く起きろよー」と肩をたたいて助けてくれたのは誰なのか?どちらにせよ、あれがなければ僕は海水で溺れ、そのまま潮に流されて遺体もあがらず、海のもくずとかしてたでしょう。
どちらにせよ謎ばかりです。事実なのは一歩間違えれば今頃命はなかったでしょう。
数ヵ月後にリハビリの末復活した僕は、結婚することになり、この島でリゾートウェディンクをあげることになりました。父と母はぼくが営む民宿に泊まったのですが、結婚式の朝、今度は父がその民宿の庭でクモ膜下出血で倒れました。なんとか助かり、いまは大丈夫ですが、、、、、あの場所には何かあるのでしょうか?
あの謎の事件から数ヶ月、ぼくは結婚式を終え、幸せを感じつつもどうしてもあの日のことを忘れられずいました。、、、結婚式の食事会でも母はお酒を飲みすぎたぼくの不注意とまわりに話、ぼくが無事であってよかったとまわりに話していましたが、、、
結婚式の次の日、妻はすぐに仕事があるからと先に帰り、他の人たちも一緒に帰りましたが、あの日のことをどうしても振り返りたいと思い、あれ以来行ってない簡易民宿の場所へと車を走らせました。到着とするも変わらぬ風景にいったんは落ち着きましたが、庭にはあの日のままのBBQセットが置いてました。父がある程度片付けてくれていたのでそれ以外は綺麗に整えられていました。
ぼくはあの夜のできことを回想するようにあの3人が来るまでの流れを辿ってみました。
しかし、やはりBBQからのことは思い出せない。海の方に行ってみましたが、防波堤から下の砂浜みで約3メートルの高さがあり、、ここから頭から落ちて本当に運がよかった。砂浜には少し大きな石も転がっているので下手すれば一発アウトなところでした。
そこからまた簡易民宿のほうに向かうと、民宿を覆ってるガジュマルの木の根本にふとあるものを発見しました。それは20センチほどの猿に似たような像でした。ぼくはここの土地にもう30年以上通ってますが、こんな像は1度も見たことがありませんでした。母にも電話して聞きましたが、覚えがないとのこと。ぼくはその3体の像を見て、小学生の時夏休みで毎年来る度に祖父から教えられてたある話を思い出しました。それはその島に伝わる【ケンムン】という妖怪の話です。沖縄では別名キジムナーというみたいですが、この島ではケンムンと呼ばれているとのことでした。猿みたいですが、頭に皿があり河童のようだというのです。そいつはイタズラ好きで、相撲を取ろうーと遊びの要求をしてくるようでそれにイエスと答えると他のケンムンも寄ってきて死ぬまで相撲を取らされるとの話でした。だから近寄ってきても、話しかけられても無視をすること。それが祖父からの話でした。祖父も昔、若い頃、ここで畑をしているとガジュマルの木の上から話しかけてくるケンムンがよくいたとか。祖父は鳥の鳴き声だと思うようにしたという。小学生ながらその不思議な話に興味津々でケンムンを見たいと思ったものです。大人になるにつれ、空港のお土産やさんでケンムンの置物やキーホルダーを見るくらいでそんな話は忘れてましたが、、まさかあの3人はケンムンだったのでしょうか?そして、近所の人がぼくが暗闇に向かって叫んでいたというのはケンムンと相撲を取っていたというのでしょうか?そして、、負けた?のか?
そして、肩を叩きぼくを起こしてくれたのは祖父だったのでしょうか?それはわかりませんが、ぼくはとりあえずその象の前に花とケンムンが好きだと買ってきたマグロの目玉を置きました。祖父の墓は残念ながらそこにはなかったので、とりあえず、昔よく祖父が座っていた場所に花を手向けて感謝の気持ちをつたえました。
ここからまた不思議な話があり、ぼくの妹がいるのですが、1年後、子供の夏休みを使ってその簡易民宿にいくことになったというので、そのケンムンのような象を見てきてほしいと頼んだのですが、当日電話してきて言うのです、「そんなものない」と。辺りを探したけどなかったと。
やはり、あれはケンムンだったのか?今となってはわかりません。
























非常に面白かったです。
子供のケンムンが「またね」って言ってるのでまた遊びに来るよって事かな
死ぬまで遊ぶんじゃないならそこまで怖い存在ではないのですがね
とても読みにくかったです。
誤字脱字は多いし、文法も言葉もめちゃくちゃでした。
話の構成は良いのにもったいないです。
正直伸びないなと思いました。