夜の静けさに包まれた店内で、カウンター席に座っていると、グラスの中の氷がゆっくりと溶けていく微かな音が耳に届く。その音だけがやけに鮮明に聞こえる、そんな瞬間がある。
私の勤めるこの店には、様々な人が訪れる。彼らは皆、それぞれの物語を抱えている。嬉しい話もあれば、悲しい話もある。そして、時には——言葉にするのさえ怖い話もある。
Dさんは、そんな常連客の一人だった。
スーツを着た三十代の彼は、いつも同じ席に座り、いつものブランデーを注文する。飄々とした雰囲気を持ちながらも、その目の奥には、何か言い知れぬ重さを秘めているように感じていた。
あの夜も、彼はいつものように店に入り、カウンターの隅に腰掛けた。グラスの縁をじっと見つめながら、ブランデーをそっと揺らす。暖色の照明が彼の横顔を照らし出すたび、何か語りたげな表情が浮かんでは消えるのを、私は感じていた。
「……ちょっと、私の昔話を、聞いてくれないか」
三杯目を注いだ時、Dさんはそう言った。声は静かだったが、その言葉には重みがあった。
「三年前のことなんだ――」
私は黙ってうなずき、彼の前にグラスを置いた。カウンターの向こう側で、彼の物語に耳を傾ける準備をした。
Dさんの語り始めた声は、遠い記憶を手繰り寄せるように、少しずつ、ぽつりぽつりと紡がれていった。
三年前のある夕暮れ、仕事を終えて家に帰ると、玄関先から味噌と出汁の香りが漂っていた。
「ただいま」
「お帰り、ちょうど良かった。もう少しで夕食できるわ」
妻のIの明るい声がキッチンから返ってきた。包丁がまな板を叩く、小気味よい音と共に。

























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