不思議な街
投稿者:ちちる (1)
交差点で、懐かしいものを見た。
日本語のようで日本語ではない、何やら不思議な文字が書かれたナンバープレートの車。
その車は交差点を右折し、どこかへ向かうところだった。
その光景を見た瞬間に、僕の中にある遠い遠い記憶が蘇った。
あれは高校生の頃だった。
とある日の放課後、クラスメイトの田中と一緒にあるところに出かける約束をしていた。けれど、どこに出かけようとしていたのかは今となっては思い出せない。ただ、僕と田中が降りる駅を間違えたことだけは鮮明に覚えている。
僕らは人っ子一人いない淋しい駅前を無言で歩いた。明らかに田舎の駅なのに、駅前にはやたらと高いビルが立っていたのを覚えている。なんのビルだろうと看板を見ると郵便局だった。
やがて、僕の少し前を歩いていた田中が「なあ、あれ人じゃないか」と声を掛けてきた。
田中が指を差す方向に目を向けると、古い大きな屋敷の庭に、ボロボロの麦わら帽子を被った老人がいた。
その側には中学生くらいの、坊主頭の少年が立っている。
少年は僕らに気づくと、急に笑顔になって手招きを始めた。僕と田中は戸惑ったが、なんとなくの好奇心でそこへ向かった。
老人は僕らを見ると少し驚いたような顔をしたが、すぐにニカッと笑顔になって「よう来たよう来た」と家へ上がらせてくれた。
古い屋敷だけれど、隅々まで掃除が行き届いた綺麗な屋敷だ。そして馬鹿みたいに広い。
田中はずっと興奮していた。僕もなんだかテンションが上がった。
そんなに遠い駅じゃないはずだけど、なんだか遠くに旅行に来たような気分になった。
その後、僕と田中はその家でしばらく過ごした。その間、親や学校からの連絡は無かったが、その理由は後ほど説明しよう。
かれこれ一ヶ月はこの家の世話になったけれど、僕は老人の名前も少年の名前も知らなかった。聞こうと思わなかったし、知る必要もないと思った。相手も同じように思っていたのか、名前を聞かれた記憶はない。
それでも、老人は実の孫のように僕らに接してくれたし、当時両親や祖父母と折り合いが悪かった僕にはその態度がとても嬉しかった。少年のことも実の弟のように思えて、兄弟が欲しかった僕は暇さえあれば少年と色々な遊びをした。
しかし田中はそうではなかったようだ。
日が経つにつれて不安になってきたのか、口数が少なくなり食欲も落ちているようだった。僕は田中を気遣って何度も声を掛けたが、田中は何も反応を示さなかった。
やがて深夜、田中がメソメソと「家に帰りたい」と泣き出すようになった。潮時だった。
僕はまだここに居たかったが、田中を一人で帰すわけにもいかない。僕も一緒に帰ることにした。
老人と少年は、僕らが帰ることを告げると少しだけ寂しそうな顔をした。けれど、またいつか会えるかもしれないから、と笑って見送ってくれた。
老人は大きなカーキ色の車に僕らを乗せて、駅まで送ってくれた。その車のナンバープレートには、日本語のようで日本語ではない不思議な文字が書かれていた。
その後、駅に着いた僕らがどうやって家に帰ったのかははっきりと覚えていない。
ただ、僕も田中も長いことあの屋敷で過ごしたのに、学校でも家でも何の騒ぎにもなっていなかった。僕らが駅についたあの瞬間から時間が止まっていたのか、或いはあの街だけ時間の流れがおかしかったのか、僕も田中もたった数時間失踪していただけになっていたのだ。
その後、田中はあの街での出来事を忘れてしまったようで、僕がいくら話を振っても不思議な顔をするだけだった。
僕はせめて、あの老人と少年にきちんとお礼をしたくて、何度もあの駅を目指した。
けれど、あの時乗ったものと同じ電車に乗ってもあの駅には辿り着けず、駅名を検索してもそもそもそんな駅は存在していないようだった。
それから長い月日が流れ、僕も社会人になり、あの屋敷で過ごした記憶も夢のように薄くなってきた。
あれは本当に夢だったのかもしれない。そもそもあんなに長時間滞在していて、実際は数時間しか経っていないなんてことがあるだろうか。電車に揺られながら見た長い長い夢だったのかもしれない。
そう思うようになり、あの屋敷のことも老人と少年のこともほとんど思い出さなくなった頃に、僕はあの車を見た。
日本語ではない文字が書かれた不思議なナンバープレートをつけた車。
そのカーキ色の車は交差点を右折し、どこかへと向かっていく。
オモシロイ