座敷童はあぐりと言った
投稿者:雨女 (4)
成人後に東京に出るまで、私は九州の田舎で育ちました。
実家は地元でそこそこ大きい旧家で、母屋は明治初期に建てられたのだと聞いています。
私の実家は厳格な家父長制を敷いていました。祖父と父は時代遅れな価値観の持ち主で……早い話が男尊女卑の思想に染まっていました。女は台所の隅で立ったまま飯を食え、などと平気でぬかす人たちです。母も若い頃は大分苦労したと思います。
とはいえ、初孫で一人娘という事情が合わさって私自身は祖父に可愛がられていました。
両親さえも委縮する怖い祖父が自分にだけ甘い事に、特別扱いされているような優越感を感じてなかったといえば嘘になります。
孫を可愛がってくれた祖父ですが、唯一庭の隅の土蔵で遊ぶことだけは固く禁じていました。
近寄るのすら言語道断、うっかりそばで石蹴りなどしようものなら烈火の如く怒られて廊下に立たされました。
ある時、理不尽な折檻にべそをかいて祖父に聞きました。
「なんで蔵に入っちゃだめなの?がらくたがいっぱいあって危ないから?真っ暗で転んじゃうから?」
孫のどうしてどうして攻撃に音を上げたのでしょうか、祖父は眉を寄せて悩んだ末にのろくさ口を開きました。
「うちの蔵じゃ座敷童を飼ってるんだ。コイツは遊び友達を欲しがっとるから、子どもが入っちゃいかんのだ」
祖父の言葉にぎょっとしました。当時は座敷童なんて架空の存在だと思っていたので、おじいちゃんはそんなの本気で信じてるのかと心の片隅であきれました。
とはいえ祖父の命令は絶対です。もし今度蔵に近寄ろうものなら、廊下に立たせるだけじゃすまないかもしれません。
両親も娘が土蔵に近寄ることがないように見張っていたので、しばらくは家の中で落書きしたり漫画を読んだり、ひとりで大人しく遊ぶ日々が続きました。
しかし……結論から述べると、祖父の脅しは逆効果でした。一日一日と過ぎてくうちに、本当に座敷童がいるのか、いるのなら見てみたいと好奇心が膨れ上がったのです。
私が好んで読んでいた子供向けの妖怪の本には、座敷童は小さい子どもの姿をしており、家に富をもたらす守り神だと書かれていました。なのに「飼っている」なんて表現はばちあたりです。祖父は祟られるのが怖くないのでしょうか?
それに座敷童は主に東北にいて、九州ではあんまり目撃談を聞きませんでした。
座敷童の正体が気になってたまらなくなった私は、祖父と両親が危篤の親戚の見舞いで留守中に、こっそり土蔵に忍び込みました。
ギギギ……一体どれ位閉め切られていたのか、錆びた軋みを上げて開いた鉄扉の向こうには真っ暗な闇が広がっています。中には長持や葛籠、文机に箪笥、朱塗りの鏡台などが雑多に押し込まれていました。母や祖母の嫁入り道具でしょうか?
蜘蛛の巣を吹いて埃を払うと鏡の曇りがとれ、自分の顔が映し出されました。
「えっ?」
鏡を覗き込む私の肩越しに、黒くて小さい影がすばしっこく駆け抜けていきました。何故か足音はしません。
座敷童がいた!おじいちゃんの言うことは本当だった!
「待って!」
驚きと興奮に駆り立てられて後を追い、影が消えた行き止まりに来ました。そこは一番奥の壁の前です。
一体どこへ消えちゃったんだろうとあたりを見回し、注意深く片足を踏み出しました。
ギッ……。
不吉な音に視線を下げた所、地面に跳ね戸がもうけられていました。その場にしゃがんで取っ手を引くと、地下へ続く急勾配の石段が目に入ります。
この奥にいる。
そう直感し、生唾を飲んで一段一段下りていきます。何故土蔵の奥に隠し扉があり、そこから階段が続いているのか……この時はまだ幼すぎて理解できませんでした。
良き
文章も上手くて面白かったです。
若干尻すぼみ感もありますがリアルといえばリアル