震える手でドアを開けた。中はもう空っぽで、机も棚も撤去されている。ただ、床の隅、備品のかごの奥に、一冊のノートが落ちているのが見えた。さっきの音は、これが落ちた音だったのだろうか。それとも――。
拾い上げて、埃を払う。表紙には彼女の字で、几帳面に日付が並んでいた。最後のページを開いた。
「先生に最後まで言えなかったこと。この学校、就職の面接で必ず聞かれる。『前の代の子、辞めた理由知ってる?』って。誰も本当のことを言わない。言えば、次は自分が辞めさせられる番だから。友達の心が透けて見えるっていうのは嘘じゃない。みんな、同じことを隠しているのが、わかってしまっただけ。先生も、たぶん——」
そこで文字は途切れていた。
ノートを持つ手が、冷たくなっていく。ガタン、と、また部屋のどこかで音がした。振り返っても、誰もいない。
ただ、磨りガラスの向こうに、さっきよりも近い場所で、あの懐かしい人影が、じっとこちらを見ているような気がした。
—
その夜から、私はよく眠れなくなった。
ノートの文字が、頭から離れなかったからだ。何度も読み返しているうちに、あることに気づいた。文字の色が、他のページと違う。最後のページだけ、インクが妙に赤黒く、光にかざすと微かに艶がある。まるで、乾いた血のように。
翌朝、職員室で彼女の家庭調査票を探した。備考欄に、担任時代の自分の字でこう書いてあった。「実家は旧家で、地域では”拝み屋”のような役をしていたとのこと」。当時は迷信深い家庭だとしか思わなかった。今は違う意味に読める。
それから、少しずつ様子がおかしくなった。
同僚と話していると、言葉の裏がわかってしまう。「頑張ってください」と言いながら、この人は私が異動することを願っている。「大丈夫ですか」と聞きながら、この人は私を心配などしていない。にこやかな顔の下にある、本音だけが、透けて聞こえてくる。
彼女が言っていたことは、本当だった。「友達の心が透けて見える」——あれは病気でも妄想でもなかった。
ようやく理解した。あの最後の一文は、途切れていたのではない。あれ自体が、完成された呪文だったのだ。血の混じったインクで書かれた言葉を、最後まで目で追った者にだけかかる呪い。彼女は気づかずに、自分の血で呪具を作ってしまっていた。おそらく、家の血がそうさせたのだろう。そして今度は、私がそれを受け継いでしまった。
それでも一つだけ、わからないことがある。
彼女は最後に「先生も、たぶん——」と書いていた。あの続きに、何を書こうとしていたのか。
今夜も、寮のあの部屋から物音がする。
行けば、わかるのかもしれない。行かなければ、わからないままでいられるのかもしれない。
私は今、ドアの前に立っている。

























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