奇々怪々 お知らせ

特別投稿

MOMOさんによる特別投稿にまつわる怖い話の投稿です

心霊に関する私見
短編 2025/10/16 00:50 858view

これ以降に書く話は、すべて私個人の経験に基づくものです。根拠はありません。信じても信じなくても構いません。ただ、私という人間が確かにそう感じ、そう考えたという事実だけを残します。

 いきなりですが、霊媒師という存在はどのような仕組みで成り立っているのでしょうか。
 修行を積んだ者、血筋に恵まれた者。おそらく多くの方がそう聞いたことがあると思います。私もそう思っていました。ですが、最近になってその“解釈”が少し違うのではないかと感じています。
 霊媒師が人ならざるものの気配を感じ、交流を行う。あるいは霊感という形で何かを受け取る。それはラジオのチャンネルを合わせるような行為に近いのではないでしょうか。普段、意識して触れない波長に意図的に手を伸ばし、そこに“合わせに行く”。霊感とは、そうした操作を行うための感覚器官の延長線上にあるものだと、私は思っています。反対に、人ならざるものが起こす現象も、あちら側がこちらに“周波数を合わせられる”能力を持っているからこそ成り立つ。
 ──つまり、双方が「境目を越える力」を持っているということです。
 少し話が変わりますが、共感覚という言葉をご存知でしょうか。ある刺激が別の感覚を呼び起こす現象のことだそうです。脳の構造的な特徴によって、感覚と感覚の境が曖昧になることが原因だと言われています。
 霊媒師の“霊感”も、それと似た構造を持っているのではないかと私は考えています。
違うのは、曖昧になるのが「感覚の境」ではなく「存在そのものの境」だということです。曖昧なんですよ、体が。夢だと思っていた場面が現実だったり、現実の記憶が夢の中に混ざったり。
誰かの口調が、自分の声のように口から漏れてしまう。そういうことが続くうちに、人格の輪郭までもが靄の中に溶けていく。そんな感覚に何度もなりました。

 生命活動を営む身体という枠を保ちながら、その“内側”が少しずつ希薄になっていく。それは特別な力を得ることではなく、穴を開けていくような行為です。自分という存在を、死以外の方法で薄めていく。それができる人──あるいは、そうなってしまった人──それが霊媒師なのだと思います。
 山に籠もる人々、俗世から離れる修行者。 彼らは意図的に“現とそうでないものの境”へ身を置き、感覚を慣らしていく。簡単に真似できることではありません。なぜそこまでしてその力を保つのか、私には完全には理解できません。けれど、そこには人間の常軌を越えた信念があるのだと思います。自分の体や魂を削ってまで、他者を救おうとする。普通の人間が避けるはずの領域に踏み込み、“人ならざるものの無念”に触れる。それは、ある種の狂気であり、同時に深い慈悲なのかもしれません。
 今思えば、私がその道を志したのは、高校生の頃だったと思います。理由は、今思えば情けないものです。多感な年頃で、何か特別なものを持ちたかった。東北の出なので、そういう“場所”には事欠きませんでした。岩手の沿岸、秋田の廃ホテル。何かを感じたくて、何度も足を運びました。
 最初は興味本位でした。けれどいつからか、自分の意思ではないような感覚に導かれていました。
 あの頃から、私の存在が削れ始めていたのかもしれません。今はもう、戻れません。といっても、私の場合はせいぜい生活にノイズが混じる程度です。ただ、それでも十分に不安定です。何かが隣にいるような感覚が、日常のどこかに常にあります。
 もし、これを読んでいる方の中に、私と同じような気持ちでこの道に踏み込もうとしている人がいるなら──どうか、やめてください。
 本当にやめてください。

 私はもう、戻れません。
だから、あなたまでこちらに来てほしくないのです。私も、これ以上苦しみたくないんです。同じような人が増えてほしくない。わかってしまう気がするんです。曖昧になった故の苦痛というものが。あなたのような人の感覚が。

1/1
コメント(0)

※コメントは承認制のため反映まで時間がかかる場合があります。

怖い話の人気キーワード

奇々怪々に投稿された怖い話の中から、特定のキーワードにまつわる怖い話をご覧いただけます。

気になるキーワードを探してお気に入りの怖い話を見つけてみてください。