知らないけど知ってるおじさん
投稿者:めれんげ (1)
私と夫と息子の三人家族は地方の賃貸マンションに住んでいます。80年代後半に建てられたマンションは古いながらもリフォームされ、内装は真新しいものです。部屋の段差や設備の劣化は気になりますが、不具合があればすぐに管理会社が対応してくれるので概ね満足していました。
マンションに越してきたのは息子が生後五か月のころです。この家に来てからというもの息子は宙を目で追うようになりました。何もない空間をぼんやりと見つめ、つうっと目を動かすのです。
赤ちゃんは視界に入ったものをすべて見るため、大人では気づかない塵やわずかな光を目で追うと聞いたことがあります。きっとそういうことなのだろうとわかっていたのですが、夜泣きする子どもが隣の部屋の暗闇を見つめて泣きやむとゾッとすることはありました。
しかし歩きだすようになると目を離した途端に、扉という扉を開けたり、コンロのつまみをいじろうとしたり、食器をブロックのように積み上げて遊ぼうとするので別の意味で恐怖する毎日です。何もない空間を見つめていたことなどすっかり忘れていました。
息子は2歳になりました。よく喋る子で、女の子のようだと言われることが多かったです。はきはきと話すので親の目から見ても口達者でした。
日中は私とふたりで過ごすことが多く、毎日公園やスーパーに出かけていました。移動手段は自転車です。息子は私のこぐ自転車のうしろに乗るのが好きでした。乗用車のチャイルドシートに乗せると「膝に乗りたい」とせがまれて大変なのですが、自転車はおとなしく座っていてくれます。
「お買い物行こうね」
そう言いながら息子の手を引いて駐輪場にやってきました。駐輪場はマンションの敷地内に設置された屋根つきのスペースです。
蝉の重奏が響いていました。8月の2週目の曇り空、陽射しはなくとも蒸し暑い日です。蝉の声にあわせるように鼻歌を歌っていた息子ですが、突然ぴたりと歌うのをやめました。知らない人がいるときは静かにしているのは2歳なりの社交性でしょう。息子はすこし緊張した声音で「こんにちは」と小さく頭を下げました。
私は息子以上に緊張しました。駐輪場には私と息子以外、誰の姿も見えなかったからです。背筋がぞぞっと寒くなりました。しかし息子の挨拶に返事はなく、焦燥感をあおるような蝉の声が響くだけでした。
私は息子を自転車の後ろに素早く乗せてこぎ出します。私が動揺すると息子も気にしてしまうと思い、平静を装いました。しばらく走ったあと、何気ないふうをよそおって息子に尋ねました。
「さっきさ、自転車とめてるところに誰かいた?」
「知らないおじさん」
「そっか、おじさんかあ」
「知らないけど知ってるよ」
「うん? 知ってるの?」
「あのね、おじさんね、ときどきお部屋にいるの」
とても読みやすくて
うっすら落ちが予想できていてもちゃんと怖かったです