レクイエム
投稿者:笑い馬 (6)
ロシア旅行に行ったときの話である。
ロシア西部にある大都市サンクトペテルブルク。帝政ロシアの遺構が多く残る美しい街である。
私は気軽な気持ちでこの街へ旅に出た。エルミタージュ美術館をはじめ、数々の素晴らしい観光地をぶらりと旅する。美しい町並みを見て、美術館や博物館を巡り、うまい酒を飲む。
それだけのつもりだった。
サンクトペテルブルクに宿泊して三日目のこと、第二次世界大戦の遺構が見たいと突然ふと思った。
ここサンクトペテルブルクの旧名は『レーニングラード』である。
レーニングラードといえば、第二次世界大戦の激戦地、百万を超える死傷者を出した地獄の戦場。
それも多くの罪のない市民が巻き込まれた。
ある者は砲弾の直撃を受けて体をえぐりとられ、ある者は食料不足からくる飢えから餓死し、またある者は寒さで凍死した。
私は歴史に興味があるわけではなかった。
昔、何かの記事で見かけた『レーニングラードの食人』
《ヒトラー率いるドイツ軍に包囲されたレーニングラード。レーニングラードの市民たちは食料や燃料を手に入れることができず、人間の死体を食べて飢えをしのぎ、人間をたき木にして暖をとったという。市場には死体が売られ、墓場は死体を得るために掘り起こされた》
そのような出来事が生々しい書体で書かれた記事だった。
その記事を思い出して、私はサンクトペテルブルク(レーニングラード) 郊外の静かな野原へと向かった。
戦争の歴史が学べる博物館や、戦争の記念碑ではなく、私は郊外にある戦場跡の、なにもない野原に行くことを選択したのが我ながら不思議である。
今思えば、このときすでに、戦場跡に残る「何か」に呼ばれていたのかもしれない。
昔、戦場だった野原。
見渡す限りの、一面に広がる荒涼たる野原。
風が吹き抜け、背の低い雑草がふわりと揺れ動く。そんな場所。
山や丘はない。平地に野原が広がるのみで、野原の所々にはるか遠くにサンクトペテルブルクの町並みが見えるだけ。それだけの寂しい景色であった。
風に乗って、美しい音色が流れてきた。
もの悲しい、哀れなものを悼むような音色。弦楽器の奏でる音のよう。
音のする方へと私は向かう。
樺(カバ)の木のような、やせた頼りない木の下で、男がひとり、バイオリンを弾いていた。
男が奏でるバイオリンの音色に私は聞き惚れた。人を引きつける音色。
男の身なりはたいそう汚い。茶色の所々破れた長ズボンと、これまた茶色のボロボロなコートをくすんで黒ずんだ白シャツの上に羽織っている。
ロシア人ではない。一見するとアジア系の顔、日本人かもしれない。
男の素性が気になったが、それよりもこの音楽、バイオリンの音色に大いに引き付けられ、他のことを考えられない。
時間を忘れて聞いていられる。
バイオリンの音色はときに激しく、ときに静かに、素晴らしい旋律を野原に響かせた。
観客は私一人。
他に誰も聞く者のいない、観客ひとり、演者もひとりの、草原の演奏会だった。
ふいに音が止んだ。
どうやら曲が終わったらしい。
私はバイオリンを弾いていた男に拍手を贈った。
男はバイオリンを大切そうにケースに仕舞うと、私に向きなおり、「日本から来られましたか?」と声をかけてきた。
「自分は日本の生まれで○○という名前です。あなたも日本人でしょう?」と男は明るく気さくに言った。
私は驚きながらも自己紹介をした。
私と男はそれから少し話をし、夕食を共にすることにした。
向かった先は、狭くてゴタゴタしたバー。壁際の棚に酒瓶がこれでもかとばかりに大量に並べてあるのが特徴的な飲み屋である。
「自分は家族も仕事も捨てて、東ヨーロッパを巡っています。第二次世界大戦の激戦地をたどって、バイオリンでレクイエムを弾いているのです」と男は語る。
聞けば、その男の日本での暮らし向きは豊かで家族仲は良好、仕事は有名な楽団に所属していて収入も安定していたそうだ。
順風満帆ともいえる暮らしを捨てて、男は旅に出た。
ベルリン、ワルシャワ、クルスク、そしてレーニングラード。いずれも第二次世界大戦、それも絶望の独ソ戦の舞台。ドイツ軍とソビエト軍が血で血を洗う死闘を演じた場所を男は旅して来たのだという。
戦いのあった場所、慰霊碑の前、捕虜収容所、戦禍に散った人々の御霊を想ってレクイエム(鎮魂歌)を演奏する。そんな生活を続けて、ここサンクトペテルブルク郊外までやって来たのだと男は語る。
「失礼かもしれませんがお聞きします。日本での生活を捨ててまで、なぜそのような旅を?」私はそのように聞いた。戦争で死んだ人々を悼むことは大切だが、家族や仕事を捨ててまですることだろうか?そこが私には疑問だった。
男が答えた言葉は意外なもので、「自分にもよく分からない」とグラスを傾けながら、遠い目で答えたことが印象深かった。
男の説明によると、
一本の小説を読んでるようだった…
物悲しいけどとても美しい話をありがとう
レクイエム聴きたくなった
不思議で美しく、そして悲しい物語だった。
怪談として、それ以前に一つの物語として読み入ってしまった。
草原に立ち尽くしひたすらにレクイエムを奏でる男、阿鼻叫喚の戦場、そして全てが終わった後の何も語らない草原、一つ一つの情景とレクイエムの旋律が脳内に鮮明に浮かんだ。
私にとって忘れられない物語の一つとなるだろう。
この物語を書き記してくれた作者の方に最大限の賛辞を送りたい。ありがとう。
レーニングラード、行ってみたくなった
その野原はどこにあるのだろう
今から楽器を練習しても間に合うだろうか
ビートボックスでもいいなら、私も参加したい
日本人だったらそんな外人居たら英霊扱いだが、
ロシア人「あの場所は呪われている」
この部分が凄くリアルでいい。
日本人は世界の常識を分かってない。外人も日本人と同じ心を持ってると勘違いしてる。北方領土に支援し続けて10年後に返ってきた答えが入島禁止だったのも笑ったが。
道徳は日本の宗教でしかない事を理解せんとかん
松本零士を思い出す作品です。
善きかな