言葉はただの音だと、私は信じていた。
大学で言語学を専攻し、音素や形態素に分解しては意味を解体する。その作業が好きだった。言葉は体系だ。約束だ。そこに霊も呪いもない。あるのは運用と解釈だけだ。
きっかけはゼミの飲み会だった。後輩がふざけて言った。
「先生って、いるんですかね」
教授は笑わなかった。
「“いる”は、やめろ」
それだけ言って、グラスを置いた。
酔いのせいだと思った。だが教授は続けた。
「音は一つでも、意味は一つとは限らない。居る、入る、要る。書き分けたつもりでも、耳は区別しない。発した瞬間、全部が立ち上がる」
私は反論しかけたが、教授は視線を逸らした。
「重ね書きだ。重なったまま、消えない」
数日後、教授は研究室で死んでいた。事故か自殺かは公表されなかった。ただ、ホワイトボードに一文だけ残されていた。
「もう、いる」
それだけだった。
私は研究室に呼ばれ、後処理を手伝った。白い部屋。片付けられた机。拭き取られた床。だがその一文だけは消されていなかった。チョークの粉が、わずかに指に付いた。
いる。
主語がない。何がいるのか、誰がいるのか、書かれていない。だが削ることはできなかった。消すのは私の役目だったはずなのに、手が止まった。
その夜、私は一人で残った。
誰もいない研究室で、ドアは施錠されている。空調の音だけが続く。
ふと、背後で気配がした。振り向いても何もない。ただ、自分の呼吸だけがやけに近い。
無意識に、確かめるように呟いた。
「……いるのか」
その瞬間、何かが変わった。
空気がわずかに重くなったわけでも、物が動いたわけでもない。ただ、自分の輪郭が曖昧になった気がした。自分が“居る”のかどうか、判然としない。身体の奥に、別の位置ができたような感覚。
入る。
要る。
どれも否定できない。
私は声を出すのをやめた。言葉を固定しようと辞書を開いたが、そこにあるのは活字だけで、安心はなかった。意味は並んでいるのに、どれも選べない。選んだつもりでも、選ばれなかったものが残る。
それ以来、私はできるだけ言い換えている。「在宅か」「存在するか」。だが完全には避けられない。人は無意識に使う。
エレベーターで。
























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