私には90歳になるひいじいちゃんがいる。
90歳とは思えないほど、元気で毎日ジョギングしたり、庭の手入れをしている。
そして毎日何本もビールを呑むくらいには酒豪らしく、たまに酔った時に昔の話をしてくれる。
そして、その日も昔の話をしてくれた。
この話は、じいちゃんの、もうどうしようも出来ない、仕方のなかった懺悔話である。
じいちゃんは小学4年生の頃、ちょうど太平洋戦争の終戦間近で、じいちゃん一家は東北地方の山の方で静かに暮らしていたらしい。
そして食べ物が不足している時代、毎日を生きるのに必死だった。しかし、少ない食糧をみんなで分けて食べて、多くの兄弟と両親と仲睦まじく暮らしていたそうだ。
しかしある日、ついにじいちゃん一家の長男に赤紙が届いたそうな。
本当は皆悲しかったが、それでも笑顔で送り届けたらしい。
出兵する前日、山に隠した食糧を掘り起こしに長男とじいちゃんが山に登った。
登っている途中、長男はじいちゃんに言ったそうな。「行きたくない、死にたくないと。」
目にいっぱいの涙を溜めて、今にも泣いてしまいそうだったらしい。
細い脚はガクガクと震え、背の高い長男だったが、その姿は弱った小動物のようで、そんな長男を見たことが無かったじいちゃんは、なんて言葉をかけるべきか迷ったそうな。
しかし幼かったじいちゃんは分からなかった。
「何を言ってるんだ。お国の為に死ねるなら本望だろう。」と、心身ともに弱っている長男に対し、今最もかけてはいけない事を言ってしまったのだ。
途端、長男は目を真ん丸くして、じいちゃんを暫く見つめたそうな。
そして、「そうか。すまんな、こんな変な事を言ってしまった。忘れて欲しい。」と、俯きながら言ったそうな。
これから死ぬかもしれない恐怖や、理解されない苦しみや、じいちゃんなら分かってくれるだろうという期待を裏切られた目だったのだろうと、じいちゃんは酒を煽りながら話していた。
出兵する日、長男の目は真っ赤にに腫れていた。
長男の訃報が入ったのは戦争が終わる3日前だった
家族はみんな泣いていた。もちろんじいちゃんも泣いた。
そして、自分が長男に言ったことをやっと理解して後悔したそうな。
あの時、今にも泣き出しそうな長男に、もっと別の言葉をかけたら、たとえ死んでしまっても後悔の念は軽いのだろうと。
8月17日、じいちゃん一家にも終戦の報せが入った。玉音放送は聴いたそうだが、かなりの田舎だったせいで、天皇の言うことをいまいち理解出来なくて、2日後、山の麓の家の人に教えて貰ったそうな。それで、じいちゃんは後悔や怒りの念で押し潰されそうになったそうな。
「もっと早くに日本が敗けていれば、和彦は死なずにすんだのに…」と、天皇を恨んだそうな。
じいちゃんが許しても、時代が許さなかった。





















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