トイレの誰か

私は今の会社で10年目になる。職場は冠婚葬祭を行う大きなホールで、この地域ではそこそこ名の通った会場だ。とはいえ近年は、お洒落なゲストハウスで結婚式を挙げる人が多く、うちの仕事の多くは議員や医者会の宴席、そして葬儀が殆どだ。たまにモノマネディナーショーなんてのもやっていて、料理のサービスや進行の手伝いなどが私の主な業務だ。

ある日の私はディナーショーのデザートを運んでいた。50人分くらいを専用の台車に乗せて運ぶのである。バックヤードを進んでいると、従業員用トイレの前に新しく入った調理アルバイトAが扉をノックしていた。そしてそのままトイレに入っていったのである。この時はなんとも思わなかった。
仕事が一段落し、私は何気なくトイレに向かった。するとまたしてもAの姿が。私がトイレに入ろうとすると「すみません、お腹痛くて、先にいいですか？」と言った。ちなみにトイレは男女兼用でこの階はこの1ヶ所しかない。Aにトイレを譲り、違う階のトイレに向かおうとした時、後ろからトントンと聞こえた。Aがトイレをノックしていたのである。そしてAはトイレに入っていった。気になった私はAのトイレを待つことにした。しかしAはすぐにトイレから出てきたのである。私を見たAは少し驚き「すみません、入ったらおさまっちゃいました」と言い去っていった。
私はトイレに座った。トイレにおかしな様子はない。しかし気になった。なぜAは誰もいないトイレにノックするのか。過去に鍵をかけ忘れた女子に遭遇でもしたのかなと思いながらトイレから出た。目の前には事務のおばさんBがいた。「汚してないかい？」そう言いBは丁寧に掃除を始めた。ここで私はあることに気付く。そういえばこの階のトイレは他の階より綺麗なのである。新しいとかではなく、常に清掃が行き届いているのだ。私はBに聞いた。「ここのトイレはBさんが掃除の担当だから、他の階より綺麗なんですね」
するとBは「どの階もあたしが掃除してるんだよ」と言った。
一瞬困惑した私にBは続けた。
「ここを汚すと社長怒るんだよ」
私はますます不思議になった。そもそも社長は一番上の階だ。ここのトイレを使うことはない。無性に気になった私は更衣室に急いだ。帰り支度中のAになぜトイレにノックしたのかを尋ねた。最初ははぐらかされたが、社長の命令であのトイレだけが入念に清掃されていることなどを話すと、その真相を教えてくれた。
Aは元々霊感が強く、トイレに霊の気配を感じると子供の頃からノックして移動してもらうようにしているだという。私がトイレを使おうとした時、既に霊が座っていた為、先に使うフリをしてノックしたのだと言う。A曰く、古い霊で攻撃的なので、出来ればあのトイレは使わない方がいいとのことだった。
それから間もなくしてAは他の会社に正社員として雇われていった。特に信じていなかった私だが、1年ほど経ち事件は起きた。中途で入って来た事務社員Cが、トイレの中で亡くなったのである。死因は脳梗塞であった。話によるとCは、カップ麺の汁を頻繁にあのトイレに流し、よく事務のおばさんBと口論になっていたようだ。カップ麺の食べ過ぎのせいか、トイレに住む誰かのせいかは分からない。それ以来私は少しずつこの話を広め、今では皆、従業員が皆、あのトイレにノックするようになった。