私には戸籍上の名前の他にもう一つ名前があります
投稿者:一ノ森 (4)
私にはA籐B子のような戸籍上の名前の他に、C木D代というような、もう1つの名前があります。それは、私の住んでいた地域に伝わる「親が厄年の時に生まれた子供は捨てなくてはいけない」という風習からきています。
私は両親が本厄の年齢にあたる時に生まれました。私が生まれた地域ではそういう子供は、親の厄を持って生まれるとされ、長生きできないと言われていました。そのため、私の親は赤ちゃんの私を捨てる決意をしたそうです。
とはいえ、本当に捨てるのではなく捨てるふりをする、一種の儀式を行うそうです。
まず、捨てられた私を拾ってくれる儀式上の親を探します。
私の場合は、裕福な親戚の老夫婦がなってくれました。
儀式当日、晴れて日柄が良い日に、村の三叉路の真ん中に白い絹のおくるみで包んだ私を捨て、本当の両親は左側の道に進みます。そして、老夫婦が偶然を装って三叉路に通りがかり、「まぁ、こんなところに可愛い赤ちゃんがいるわ」と言って私を拾い、右側の道へ進んで家へ連れ帰ります。これで概ね儀式は完了です。
その後のお七夜やお食い初め、七五三などといった幼児期の行事は全てA藤とC木家で2回行いました。
つまり、私はA藤の子であるけれども、C木家の子でもあると誤魔化すためにこのような儀式を行うわけです。
本当の親がお礼をするものの、それなりにお金がかかるため、裕福で風習を理解してくれる親しい人にしか儀式上の親になってと頼めないのよ、と母は言っていました。
大人になった今でも私はC木家に行くとD代と呼ばれるし、老夫婦のことをD代母さん・D代父さんと呼びます。
私はこの話を思い出すたびに不思議な気持ちになります。本当の両親や老夫婦達は、一体誰の目から私を守るためにこのような儀式をしたのでしょうか。
そして、私は今でもその誰かに見られているのでしょうか。
初めて聞きました
儀式とは言え捨てるって恐ろしい
昔はよくあったよね