これは祖父の死に関する少し奇妙な話だ。幽霊が出るわけでもなく、私自身が不思議な体験をしたわけでもない。それでも妙に記憶に残っている話である。
今でこそプライバシー保護の観点からあまり見られなくなったが、かつては田舎の農家と言えば玄関先にフルネームの表札があるのが当然の光景だった。家によってはご丁寧に家族全員の名前がフルネームで書かれていることもあった。私の祖父母の家では、その家の世帯主、つまり祖父の名前(仮に名前を「山田耕次」としよう)がフルネームで書かれた表札が玄関扉の上方に設置されていた。
そして一口に表札と言っても色々な種類に細かく分かれる。素材が木材なのか、石なのか、名前の文字は彫ってあるのか、張り付けてあるのか、など様々だ。
私の家では長方形の石に、祖父の名前を「山」「田」「耕」「次」と一文字ずつかたどった石を張り付けている形の表札だった。
このことを念頭に置いて今回の話を聞いていただきたい。
ある日、祖母が玄関先を掃き掃除しているときのことだ。
玄関の前に「山」の文字が落ちていることに気づいた。一瞬訝しんだがすぐに思い当って上を見ると、やはり祖父の名前の表札から落ちたものだった。
祖母はそれを拾い、そのうち直してもらおうと一旦保管することにしたそうだ。
その晩、祖父は脳溢血で倒れた。
元来病気知らずで健康そのものな祖父だったが、これにより半身不随に近い状態となってしまい、車いす生活を余儀なくされた。
それでもしばらくは自宅で生活をすることができていたそうだ。
また別の日、今度は「耕」の文字が落ちた。
祖母は表札から落ちた二つの文字を元の場所に戻したくはあったが、元々どうやってくっついていたものかも分からず、祖父の世話にも追われている状態だったので手がつけられていなかった。
数日後、祖父が二度目の脳溢血を起こした。
今度は前回より酷い状態で全身が動かなくなってしまい、病院で寝たきり状態となってしまった。祖母は表札の文字が落ちることに不吉なものを感じたという。
そしてそれから一月ほどたったころ、祖父の意識が無くなった。連絡を受けた祖母が急いで病院にかけつけると祖父の容体は安定したものの、意識が戻る可能性は低いと説明を受けた。
祖母が病院から帰ると玄関に「田」の文字が落ちていたという。
それから間もなくである。最後の「次」が落ちた。祖母はそれを見て覚悟を決めたらしい。
果たしてすぐに病院から祖父の死を告げる連絡があった。
葬儀が一段落した後、私はこの話を祖母から聞いた。
実際に玄関先に出て表札を見てみると、そこには全ての文字を失い空っぽとなった長方形の石が虚しく設置されているのみだった。
私はその石から祖父の遺体と同じ死の雰囲気を感じ、背筋に悪寒が走ったことをよく覚えている。
今は祖父母の家は伯父が後を継いでいるが表札は掲げていない。

























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