第三章 90年前
十九番目の儀式。
——忘却封じ。
住職は、祝詞を止め、
静かに語り始めた。
「……ここから先は、
知る覚悟がある者だけが聞く話です」
本堂の空気が、張りつめる。
「90年前」
「この村に、一人の男の子がいました」
住職は、名前を口にしなかった。
——今は、呼ばれない名。
「とても頭が良く、
文字も計算も、
大人より早く覚えた」
「それでいて、
驕らなかった」
「年寄りの荷物を運び、
子供には勉強を教え、
誰にでも、分け隔てなく接した」
柚奈の母は、
胸の奥が、ちくりと痛むのを感じた。
「村の人間は、
皆、彼を可愛がりました」
「そして——」
住職は、少しだけ声を落とす。
「村一番の家の娘と、
婚約が結ばれた」
まだ子供同士の、
将来を約束するだけの縁。
だが。
「それが、
許せなかった者たちがいました」
三人。
「同じ年頃の男の子の、
三人組です」
「彼らは、
不思議な共通点を持っていました」
住職は、帳面を開く。
「18という数字を、好んでいた」
「18番を集める」
「18時に集まる」
「18歩で止まる」
「不吉だとされていたものを、
面白がっていた」
柚奈の背筋が、冷える。
「嫉妬でした」
「頭の良さへの嫉妬」
「人望への嫉妬」
「婚約への——」
言葉を選ばず、
住職は続ける。
「憎しみです」
ある日。
「彼らは、
彼を呼び出しました」
「“面白いものを見せてやる”と」
場所は、
今の——
あの廃屋。
当時は、
倉として使われていた。
「彼らは、
棺桶を用意していました」
柚奈の母が、
思わず息を呑む。
「18枚の板で作られた棺」
「18本の釘」
「18回、蓋を叩いた」
——遊びだった。
——悪ふざけだった。
「中に入れて、
すぐ出すつもりだった」
「……少なくとも、
彼らは、そう言い訳しました」
だが。
「棺は、
開かなかった」
「鍵を、
落とした」
「助けを呼ぶ声を、
“冗談だ”と、笑った」
住職の声が、
低くなる。
「18時を越えても、
蓋は開けられなかった」
「彼は、
暗闇の中で、
一人で死にました」
沈黙。
誰も、動けない。
「翌日」
「村中が、探しました」
「見つかった時、
彼の顔は——」
住職は、言葉を切った。
「恐怖ではなく、
理解だった」
「“なぜ”ではなく、
“そうか”という顔だった」
柚奈の母は、
涙をこらえきれなかった。
「……じゃあ」
震える声で言う。
「彼は、
復讐したかったわけじゃ……」
住職は、首を振る。
「彼は、復讐を望みませんでした」
「彼が望んだのは——」
一拍、置く。
「忘れられないこと」
「自分の死が、
“悪ふざけ”として
消えていくことを、
拒んだ」
「だから——」
住職は、
青い蝋燭を見つめる。
「18という数字を、
鎮めの形に変えた」
「不吉であり、
死であり、
同時に——」
「向き合わなければならない数字に」
三人の男の子は、
その後、
村を去った。
だが。
「18からは、
逃げられなかった」
誰も、その後を語らない。
十九番目の儀式が、
静かに終わる。
住職は、最後に言った。
「彼は、
化け物になったのではありません」
「人として、
人のまま、
鎮まり続けている」
だからこそ——
「忘れれば、
また、数え始める」
本堂の奥で、
風が、そっと止んだ。
まるで。
棺の中で、
長い間、
息を止めていた誰かが——
ようやく、
静かに眠ったかのように。
住職は、語りを止めなかった。
むしろ、
ここからが——
本当の終わりだった。
「……三人は、その後」
低く、淡々とした声。
「翌月の18日」
その言葉だけで、
全員が息を呑む。
「時刻は、
18時18分18秒」
柚奈の母は、
思わず目を閉じた。
「三人は、
別々の場所にいました」
「事前の打ち合わせも、
連絡も、ありません」
「にもかかわらず——」
住職は、帳面を開く。
そこには、
三つの記録。
一人目。
川沿いの道。
普段は、
誰も落ちない場所。
「足を滑らせた」
ただ、それだけ。
だが、
助けを呼ぶ声は、
なぜか——
誰にも届かなかった。
発見された時刻。
18時18分。
二人目。
自宅の納屋。
日常の作業中。
「はしごから落ちた」
高さは、
致命になるほどではない。
——はずだった。
だが、
打った場所が悪かった。
時計は、
止まっていた。
18時18分18秒で。
三人目。
村外れの道。
牛車の通る、
見通しの良い場所。
「前を見ていなかった」
ほんの一瞬。
その“一瞬”が、
すべてを終わらせた。
事故が起きたのは、
やはり——
18時18分。























※コメントは承認制のため反映まで時間がかかる場合があります。