ただの「学校の七不思議」では済まされない話
投稿者:スズキ (2)
皆さんも学生時代に一度は耳にしたことのある「学校の七不思議」。
「人のいない音楽室から演奏が聞こえる」
「上りと下りの階段の段数が違う」
「廊下に掛かる絵画の人物の目が光る」
など…。日本全国の学校でそのような怪談話・代々の言い伝え等あるかとは思いますが、もちろん私が通っていた小学校でもそうした学校にまつわる七不思議が存在しておりました。
もう数十年前のことですので当時の七不思議全てを思い出すことは出来ませんが、まだ小学生だった私はそれはもう怖い印象でありましたし、特にその中でも未だに忘れられない七不思議の一つに「第三校舎の外トイレにあった模様が動く」というものがありました。
ここで皆さんも「外トイレ?」と、疑問に思われた方もいらっしゃるかと思いますが、私の通っていた小学校は今のような鉄筋造りの建物とは違い、木造建築でとても雰囲気があり、また、由緒もある建物であったため、歴史的・文化的価値などの観点から、当時は市の「景観重要建造物等保全基金条例」の中の「都市景観の形成に重要な役割を果たしていると認められる建造物」に認定されていました。
そのような建物であったため、トイレも建物内では無く、校舎と校舎との間に併設されておりました。よく公園などにある公衆トイレを想像して頂ければ良いかと思います。
そして、その第三校舎脇にある男子トイレ内の「ヨゴレ」による模様がよく見ると動き出し人の顔に見えるという、七不思議としてはよくあるものでした。
ただ当時から七不思議の中でも特に怖かったその言い伝え。そして本当にその恐ろしさを身にして体験したのは、私が入学しその言い伝えを知った翌年に起こった今でも忘れられないある事件でした。
私が小学校二年生在学時、その第三校舎が火災で全焼するという事件が起こりました。
ちょうどその日は私にとっては二回目となる小学校の文化祭(こどもの日)であり、父兄なども参加しながら様々な出店や物販などを運営するような形で毎年行われている恒例行事の一つでありました。
今でもはっきり覚えておりますのは私はその日、校舎の中で最も長い第一校舎で「三輪車でのタクシー」という、廊下内を三輪車で送迎するという催し物を担当しておりました。
それから数時間経ったお昼前くらいだったでしょうか。
突然辺りが騒がしくなり、しばらくすると先生や父兄の方々やもちろん児童も含め悲鳴に変わり、程なく消防車や救急車のサイレンで周囲は騒然としたのが私の記憶の最後でありました。
後から聞いた話によると、私はそれらパニックによるショックから気を失ったそうです。
全く火の気の無いところからの出火だったようで当時はTVや新聞記事などメディアでも大きく取り沙汰されましたが、幸い怪我人が数名いたとの事以外は死者も出ず無事でありましたが、数十年経った現在でも犯人は依然不明のままです。
それ以来第三校舎には鉄線が張り巡らされ立ち入りも出来ない状況ではありましたが、今では立派な鉄筋造りの新校舎が建っているとのことです。
私はたまたまその年に父の転勤のため転校しその地を離れましたが、それ以来その場所へ行く機会は未だにありません。そして「第三校舎外トイレの言い伝え」を、ただの学校の七不思議だけで片付けることは出来ません。
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