知り合いの医師から聞いた話である。この話のときも今も、彼は同じ総合病院で働いている。その病院は地域の基幹病院となっているので、救急患者の受け入れにも積極的にならざるを得ず、基本的には一年365日、24時間、救急車を受け入れられるようにしている。
毎日、最低二人の医師が救急対応に当たるため、夜勤することになっている。その日は彼が、夜勤に当たっていた。
それは仕方ない話なのだが、彼はその前々日まで学会に参加するため出張しており、一昨日に本来の仕事に復帰してからも、予約日をずらしていた患者への対応を中心に、いつも以上に忙しく過ごしていた。
その日は夜中になるまでずっと静かな雰囲気だった。彼は経験上、もう今晩は、救急搬送はなさそうだと思い始めていた。まあ、大抵の日は、救急患者が来ないのだ。それに、彼はその病院での勤務が長いので、なんとなく、救急搬送のある日は分かるようになっていた(と本人は思っていた)。
生あくびを噛み殺して、彼は当直の看護師に声をかけた。
「悪いけど、ちょっと仮眠とってくる。何かあったら、すぐに起こして」
「分かりました。先生、相当、お疲れのようですよ。今夜はもう、急患は来なさそうですし、ちょっとゆっくりされては」
すまないね、そうするよ、と彼は言って、控え室に入った。
長椅子に横になったが、神経が立っていて眠れない。じっとしていると目蓋が自然に塞がってくるぐらい眠いのに眠れない。むしろ、かえって苛々してくる。
――そうだ、ハルシオンがあったはずだ!
彼は思い出した。まあ、朝まで何もないだろう。ハルシオンを飲んで、グッと眠ってやろう。睡眠薬はよく効いたようだ。飲んだ後、しばらくすると、意識が消えた。
翌朝。彼はスッキリ目を覚ました。長い時間ではないが、しっかり熟睡できたようだ。彼は気持ちよく伸びをしながら部屋を出た彼は、担当看護師に、おはようさんと声をかけた。
「あ、先生!昨晩はお疲れさまでした」
――?
彼女は何を言ってるんだろう?昨夜は久しぶりにぐっすり眠れた。お疲れさまと言われる意味が分からない。ああ、そうか、俺だけ熟睡していたから、嫌みを言っているのだろうか。
看護師は怪訝な顔をして言った。
「え、夜中の2時過ぎに交通事故の患者が運び込まれて、先生、手術してくださったじゃないですか」
彼は固まってしまった。全然、憶えていない。
「ここに着くのがもうちょっと遅かったら、危なかったと二人で話しましたよね」
「カルテも日誌も、ちゃんと書いておられましたよ」
え?と思って確認してみたら、確かにカルテも日誌も書いてある。日誌のサインは、間違いなく自分の筆跡だ。
「私はどんな様子だった?」
「患者さんが運び込まれたので、声をかけようと思ったら、その前に自分で白衣を着ながら部屋から出てこられて『今、車の音がしたな、急患か!』と仰って、すぐに診察されました。それで、すぐに手術の用意をさせて、実際に手術されたんですよ」
そうだったのだろう。でも、彼はハルシオンを飲んで眠ってから、さっき起きてくるまで、まったく記憶がない。
彼は自分の両手を見た。眠っていたつもりでも、これまでの経験が体を動かしたのだろう。
ただ、もしも起きられなかったら……もしも、半覚醒のような状態で何かミスを犯していたら……。
そのことがあってから、彼はどんなに眠くても疲れていても、夜勤のときには絶対に眠らなくなったという。























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