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Yoshitoshi Botan Doro

『ほたむとうろう』(月岡芳年『新形三十六怪撰』)

 

「牡丹燈籠」(または灯籠、灯篭)は明治の落語家・三遊亭圓朝が作った怪談噺。大元は江戸末期に生きた浅井了意の怪談集「御伽婢子」とされ、ルーツは古代中国まで遡れます。しかしその実態や詳しいあらすじは意外と知らない方が多いのではないでしょうか?

 

怪談というとおどろおどろしいイメージが強いですが、「牡丹燈籠」は男女の悲恋を描いた切ない話でもあります。

現代でもドラマ・映画・舞台化されているのは、普遍的な人情が描かれているからでしょうか。

 

今回は「牡丹燈籠」のあらすじや豆知識をご紹介します。

 

 

 

牡丹燈籠(ぼたんどうろう)とは

「牡丹燈籠」は明治の落語家・三遊亭圓朝が25歳の時に演じた怪談落語。明治25年には三代目・河竹新七が「怪異談牡丹灯籠」に題を改めた歌舞伎が大ヒット、のちに文豪・二葉亭四迷のアレンジも加わります。

 

このように後世に与えた影響ははかりしれない「牡丹燈籠」の初出は、浅井了意が執筆した「御伽婢子」でした。

 

「牡丹燈籠」のキーパーソンは幽霊のお露さん。旗本・飯島平左衛門の娘であり、主人公の浪人・萩原新三郎のもとに、亡者の身で通い婚した逸話が知られています。

 

さて、その悲恋とはどういったものでしょうか。

 

 

 

 

「牡丹燈籠」のあらすじ起

主人公は根津の清水谷に住む浪人・萩原新三郎。恋愛に奥手で実直な人物として知られていました。

 

ある時新三郎は友人の医者・山本志丈の誘いを受け、亀戸の名物・臥龍梅の見物にでかけました。

立派な枝ぶりと可憐な梅の花を堪能する新三郎と志丈。

 

その帰りに新三郎と志丈が立ち寄ったのが旗本・飯島平左衛門の屋敷。二人は平左衛門と親交を深め、女中のお米が淹れたお茶をごちそうになります。

平左衛門の屋敷には平左衛門の妾・お国と一人娘・お露も住んでいました。

 

若く凛々しい新三郎とお露はたちまち激しい恋に落ちます。

 

やがて新三郎が立ち去る日がやってきました。恋人との別れを惜しんだお露は「またお顔を拝めなければ死んでしまいます」と泣いて訴え、二人は再会の契りを交わしました。

 

 

 

「牡丹燈籠」のあらすじ承

実家に帰った新三郎は遠く離れたお露へ想いを募らせていましたが、引っ込み思案な性格が災いし、再訪の覚悟が決まりません。

 

優柔不断な新三郎が迷っている間に月日は過ぎ去り、お露の訃報が届きました。彼女は一向に会いに来ない新三郎を恨み、恋煩いで寝込んだのちに死去したそうです。お露の世話をしていたお米もまた、主人を失った哀しみと疲れがもとで他界します。

 

「俺が会いに行かなかったからだ……すまないお露、お米」

 

新三郎は自分の意気地のなさを悔やみ、お露が死んだ日から家にこもり読経を続けていました。

 

そして盆の十三日の夜半、今宵もまた新三郎がお露を偲んでお経を上げているとどこからか涼しげな下駄の音が響き渡ります。

 

こんな夜中に客人かと怪しんで縁側にでた新三郎が目の当たりにしたのは、先導するお米がさげた燈篭に浮かび上がる、生前のままに美しいお露の姿でした。

 

新三郎への未練ゆえにこの世に留まっていたお露が、恋人のもとを訪れたのです。

 

 

 

「牡丹燈籠」のあらすじ転

死んだ恋人と再会が叶った新三郎は狂喜してお露を抱き締め、次の晩のそ次の晩もこりずに逢瀬を重ねます。

 

お米が持った牡丹芍薬の模様入り燈篭の明かりには、心まで洗われるようなお露の微笑みが浮かんでいました。

 

ところが新三郎の屋敷の使用人・伴蔵が、お露即ち死霊であると看破。伴蔵が目撃したお露は新三郎の目に映るたおやかな美女とは違い、骸骨のように痩せ衰えて下半身が透けていました。

 

主人が幽霊に取り殺されようとしていると案じた伴蔵は、新三郎の知人の占い師・白翁堂勇斎にこの事を打ち明けます。

 

伴蔵に乞われて新三郎と対面した白翁堂勇斎は、近日中に彼は死ぬだろうと予言しました。

 

この段に至り愛しいお露が恐ろしい死霊だと理解した新三郎は、お寺の住職から授かった有難い札を家中に貼り付け、同じく貰った海音如来像を体に巻いてお経を上げます。

 

 

 

「牡丹燈籠」のあらすじ結

その晩もお露とお米の主従は通ってきたものの、死霊除けのお札の効果で屋敷に上がり込めません。そこでお露は伴蔵と妻のお峰が暮らす長屋に赴き、お札をはがしてくれるように交渉します。

 

最初はお露に怯えきっていた伴蔵とお峰ですが、お露が多額の金子と引き換えに吞んでくれと懇願すれば、欲に負けてお札をはがすことを承諾しました。

 

翌日二人は新三郎の裏をかき、住職から授かった海音如来像を粘土製の不動像と交換します。

 

夜、お露は約束通り多額の金子を包んでやってきました。大喜びした伴蔵とお峰は屋敷のお札を全部剥がし、結界が消えた事でお露の出入りが自由となります。

 

明け方、新三郎を裏切った罪の意識に苛まれた伴蔵は白翁堂勇斎やお峰とともに閨(ねや)の様子を見に行きました。

 

戸を叩いても反応がないのを不安がって回り込めば、新三郎が事切れています。

その目はカッと見開かれて宙を睨み、壮絶な断末魔を物語っていました。

 

絶命した新三郎の首には乱れ髪の髑髏が抱き付いていたといいます。

 

 

 

現代に残る牡丹燈籠

亀戸・萩寺の臥龍梅

「牡丹燈籠」で新三郎と方丈が見物に行った亀戸の臥龍梅は実在しています。亀戸は江戸時代から知られた梅の名所で、旬の季節には大勢の見物人で賑わったそうです。花を愛でることに粋を見出す、大江戸八百八町の心意気を感じますね。

 

ちなみに二人が参詣した萩寺は通称で、正式名称は亀戸七福神のひとつに数えられる竜眼寺。応永2年に良博大和尚によって建立されています。

現代では東京都江東区にあたり、天才浮世絵師・歌川広重の画集「江戸名所百景」にも紹介されています。

 

Hiroshige Pruneraie à Kameido

亀戸梅屋舗

 

 

谷中・新幡随院の濡れ仏

三遊亭圓朝が創作した「牡丹燈籠」は長い話で、お露と新三郎が退場した後も続きます。

 

後日談のキーパーソンとなるのは飯島平左衛門に父を殺された事を知らず、飯島邸に使用人として入った黒川孝助です。

一方平左衛門はというと、孝助が過去に自分が殺した男の息子と知りながら熱心に剣術を指南します。彼流の罪滅ぼしでもあったのでしょうか。

 

のちに孝助は仇にして師である平左衛門の菩提を弔うため、谷中・新幡随院に濡れ仏を建てました。

 

ここにはお露とお米の墓もあったそうですが、現在新幡随院はなくなり、境内には「牡丹灯籠碑」だけがひっそりたたずんでいます。

 

ちなみに京極夏彦の小説でも有名な濡れ仏とは、屋外に設置された石仏をさします。雨風に濡れているのが由来でしょうか。

 

 

三遊亭圓朝の墓がある全生庵

東京都台東区谷中五丁目に位置する臨済宗国泰寺派の寺院。「牡丹燈籠」「真景累ヶ淵」「怪談乳房榎」などのの生みの親である明治の落語家・初代三遊亭圓朝の墓が建っています。

 

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初代 三遊亭圓朝墓

 

毎年8月11日前後に本庵・落語協会・円楽一門会各派閥が本庵にてイベントを開催しており、多くの落語好きや三遊亭圓朝のファンが集まります。

 

他、圓朝がコレクションしていた多数の幽霊画や古今東西の絵師が手がけた観世音菩薩等を主題とする仏画も保管されています。

 

幽霊画の公開は期間限定ですが、圓朝の墓参りを兼ねて見学してみるのもいいですね。

 

 

 

まとめ

以上、明治を代表する落語家・三遊亭圓朝の怪談「牡丹燈籠」のあらすじや豆知識を紹介しました。

 

お露に憑かれて非業の死を遂げた新三郎ですが、他方では自らお札をはがしてお露の霊の想いに報いたとする説もあり、ロマンを感じずにはいられません。

 

新三郎は幽霊に取り殺された哀れな犠牲者か、はたまた死霊と心中した一途な男か、あなたはどちらだと思いますか?

 

 


 

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