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『新形三十六怪撰』より「新形三十六怪撰 皿やしき於菊乃霊」(月岡芳年画、1890年)

 

日本の古典怪談、『番町皿屋敷』。
古井戸に突き落とされたお菊の怨霊が家宝の皿を「一枚、二枚……」と数える筋立ては、迷信深い日本人を震え上がらせました。
今回は『番町皿屋敷』と『播州皿屋敷』の相違点、およびその成り立ちを解説していきます。

 

 

 

皿屋敷(さらやしき)とは

『皿屋敷』とは永良竹叟が天正5年(1577年)に書いた『竹叟夜話』発祥の怪談です。

 

これを祖とする話は日本全国に分布していますが、特に『播州皿屋敷』と『番町皿屋敷』が有名です。この二作は歌舞伎や浄瑠璃、講談のテーマとして取り上げられてきました。

 

あらすじの基本構造は似通っており、家宝の皿、あるいは盃を壊したか失くした女中のお菊が井戸に突き落とされ、それを恨んで化けて出る設定です。

 

しかし『播州皿屋敷』は室町時代、兵庫県姫路で起きた細川家のお家騒動を題材にしており、『番町皿屋敷』は江戸時代の牛込御門内五番町の屋敷を舞台にしている違いがあります。

 

付け加えると『番町皿屋敷』は1758年(宝暦8年)、講釈士の馬場文耕が手がけた怪談芝居がもとで世間に広く認知されました。
さて、お菊がキーパーソンとなる『皿屋敷』とはどんな話なのでしょうか?

 

 

 

皿屋敷のあらすじ起

永正元年(1504年)、播州・姫路でお家騒動が巻き起こりました。

 

細川家の国家老・青山鉄山は姫路城主・小寺則職に仕える身。しかし彼は恐るべき野心を秘め、主君に謀反を企てていました。
表向きは忠実な家老を演じながら城主を引きずり落とそうと画策する鉄山。

 

ある春の日、増位山で花見が催されます。この席には当然則職と鉄山も参加する予定になっていました。
日頃から則職を邪魔に思っていた鉄山は、花見を好機と見て主君の暗殺を計画。密かに毒薬を入手し則職に飲ませようとします。

 

この計画を偶然聞いてしまったのが則職の忠臣・衣笠元信の愛妾・お菊。
お菊は鉄山の企みを夫に密告し、則職が毒を呷る寸前に元信が切り込みます。

 

元信に救われた則職は辛うじて一命をとりとめるものの姫路城を追われ、鉄山の天下となります。

 

 

 

皿屋敷のあらすじ承

この顛末に業を煮やしたのが則職に仕える元信でした。
元信の悲嘆ぶりに心を痛めたお菊は、女中に身を窶して鉄山の屋敷に潜入し、動向を探る提案をします。

 

青山邸に仕える傍ら元信に情報を流すお菊。その働きぶりが鉄山に気に入られ、家宝の皿の管理を任されます。

 

そんなお菊に横恋慕して付いて回っていたのが鉄山の家臣、町坪弾四郎でした。

 

弾四郎はたびたび妾になれと迫るものの、元信に操を立てたお菊は不貞を犯すのをよしとせず誘惑を突っぱねました。

 

お菊に見向きもされない弾四郎は怒り狂い、彼女を間者と疑って一計を案じます。

 

 

 

 

『皿屋敷』のあらすじ転

当時、鉄山の屋敷には家宝として奉られる唐絵の皿が十枚ありました。

これは十枚揃わないと毒消しの効能を発揮しない「こもがえの具足皿」です。

 

弾四郎はこのうち一枚を隠し、お菊がなくしたといって責め立てます。

さらに弾四郎はお菊の弁解には一切耳を貸さず自邸に連行すると、激しい雨が降る中裏庭の松の木に縛り付け、十七日間に渡り青竹で打擲する折檻を加えました。

 

しかしお菊が頑として口を割らないのに逆上し斬殺、遺体を井戸に捨ててしまいます。

 

お菊を始末した弾四郎。

これで鉄山の天下は安泰かに思われましたが、お菊を捨てた日から井戸に亡霊が出始めます。

 

お菊の亡霊は夜毎古井戸に現れては「一枚、二枚、三枚……一枚足りない」と恨めしげに皿を数え続け、弾四郎と使用人を戦慄させました。

 

お菊の祟りは謀反の首謀者・鉄山にも及び、古井戸から聞こえる呪詛が精神を苛みます。

 

一方元信は鉄山を倒す計画を練りながら、音沙汰のない愛妾の身を危ぶんでいました。

 

 

 

皿屋敷のあらすじ結

歳月が流れ、元信と志を同じくする面々が動き出します。

元信は見事鉄山と弾四郎を討って姫路城を取り戻し、則職が正統な主君に返り咲きました。

 

城主に復帰した後、則職はお菊の消息を知らされます。

 

非業の死を遂げたお菊に則職は同情し、彼女の亡骸を丁重に弔った末、十二所神社内にお菊大明神として祀りました。

 

300年後、姫路の城下町に奇妙な虫が大量発生します。

この虫は後ろ手に縛られ、吊り下げられている女の姿にも見える事から、お菊の祟りではないかと騒がれました。

 

余談ですが、お菊虫の正体はジャコウアゲハの蛹とされています。

オスの成虫が麝香のような匂いを出すのが名前の由来で、写真を見ると縛られた女に似ていなくもありません。

 

 

 

現代に残る皿屋敷

ここからは現代に残る皿屋敷、ならびにお菊の痕跡を追っていきます。

 

 

・お菊井戸

お菊が投げ込まれた井戸は現在も姫路城に存在します。この井戸は城外との秘密の連絡通路になっていた為、故意に怖い話を広めたとも言い伝えられていますが、真偽は定かではありません。

石の杭が等間隔に並んだ中心の井戸は金網でふたをされており、奥底には闇が続いています。

 

 

 

・十二所神社・お菊神社

お菊神社は姫路市十二所線沿いに位置する十二所神社の境内にあります。

Jyunisyo Shrine 20170610

十二所神社

Okiku-shrine

お菊神社

 

お菊は菊姫命として祀られており、参詣者が皿に願い事をしるして奉納すると報われるといわれています。

 

 

 

・戯曲『番町皿屋敷』

作家・岡本綺堂が1916年(大正5年)に手がけた身分違いの悲恋仕立ての戯曲。
両想いの間柄ながら引き裂かれた旗本・青山播磨と腰元・お菊を中心に愛憎劇を描きます。

 

本作において、お菊は播磨の愛情を試そうとわざと家宝の皿を割ります。

播磨は過失ならばと一旦許すものの、使用人の告げ口で故意に犯行と知って激怒しお菊を斬り捨てました。

これが青山家の没落に繋がるストーリーです。

 

 

 

・皿数え

江戸時代に活躍した妖怪絵師・鳥山石燕が『今昔画図続百鬼』に収録した絵。『皿屋敷』のお菊を夜な夜な井戸からさまよい出る鬼火として描きました。

SekienSarakazoe

皿かぞえ(さらかぞえ)

 

 

また葛飾北斎の『百物語』には、ろくろ首と化したお菊が井戸から現れる光景が収録されています。

Hokusai Sarayashiki

『百物語 さらやし記』(ひゃくものがたり さらやしき)

 

 

血まみれ芳年の異名をとる月岡芳年のお菊は、なんとも儚げで守ってあげたくなる風情の美女。憂いを帯びた面にドキリとします。

Yoshitoshi Ogiku

『新形三十六怪撰』より「新形三十六怪撰 皿やしき於菊乃霊」(月岡芳年画、1890年)

 

 

歌川広重のお菊は「お菊さん」の呼称の方がふさわしい茶目っけを披露し、道行く職人に皿の修繕を頼んでいます。

 

 

祇園井特のお菊は幽霊画の面目躍如といえるおぞましさ。

お菊幽霊図

 

ざんばらの黒髪にはだけた着物、肋骨が浮いた胸とせりだす歯茎に、嬲りものにされた無念が滲んでいるようです。

 

 

 

・お菊の皿

『皿屋敷』をテーマにした怪談落語で、番町皿屋敷に肝試しに赴いた若者たちの顛末を描きます。

 

出発前、ご隠居から「お菊が皿を数える声を九枚まで聞いてしまうと逃げられない」と警告された一行。

六枚か七枚の時点で逃げ出せと注意され、その教えを守って難を逃れるものの、お菊の亡霊の美しさに魅了されて井戸に通い出します。

 

お菊がすこぶるいい女である噂はやがて町中に広がり、連日野次馬が押しかけました。

遂に野次馬が百人を超えて犇めき合い、六枚目で逃げるのが不可能に陥ります。

 

しかしお菊は平然と数え続け、十八枚に達した所で漸く切り上げました。

 

野次馬が何故「十八枚も数えた」と質問すると、お菊が「明日は休みなので余計に数えました」と返すオチです。こちらは怪談ではなく頓智話として知られています。

 

 

 

まとめ

以上、『皿屋敷』のあらすじや成り立ちをご紹介しました。

 

日本では『四谷怪談』のお岩さんと並んで恐れられる女の怨霊、お菊さん。

播州と番町、関西と関東で場所は違えど恨みの深さは変わりません。

 

しんと静まり返った夜闇に皿を数える声が流れてきたら、想像だけで卒倒してしまいそうですよね。

 

お菊は今も十枚目の皿を探し続けているのでしょうか?

 

 


 

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